月に一度の古書交換会(市場、セリ)では札幌の古本屋のみならず、小樽、旭川、岩見沢などから集まり出品や入札がおこなわれます。
ほか、年に二度ほど札幌古書組合主催の古本市を開催しています。
古書組合加盟のメリット
古書組合に加盟すると、以下の6つのメリットがあります。
1.全国の市場を利用して仕入れができる。
2.古書組合の販売サイト「日本の古本屋」に出品できる。
3.組合主催の古本市に参加できる。
4.同業者に仲間ができる。
5.古書月報、全古書連ニュースといった業界紙から全国動向を知ることができる。
6.被災があったときに支援金を送るなど相互扶助があり、若干の福利厚生を受けられる。
以上は、以前私が「日本の古本屋」発行のメールマガジンに書いた内容の一部を若干修正したものです。
詳しくはこちらに詳述しています→「私が実感する古書組合に加盟することのメリット6つ」
上記のメリットのうち、全国の市場を利用する、「日本の古本屋」で販売することの2点が主なメリットです。
ここに魅力を感じたなら、ぜひ組合加盟を検討してみてください。
札幌古書組合加盟の方法
札幌古書籍商組合に加盟するには、以下の手続きが必要です。
1.申し込み
2.面接
3.交換会の見学
4.承認
5.加入金と年会費を納入
1.申し込み
組合加盟店か理事長へ申し込み下さい。
組合加盟店は「日本の古本屋」→「古本屋を探す」→所在地に「札幌」と入れて検索してください。
※書肆吉成も加盟店です。お気軽にお問合せください。
2.面接
組合の理事長が面接します。
当組合の規約にもとづく権利と義務、組合員としての心得などを説明します。組合規定など全てに理解して頂く必要があります。
また、履歴書と面接にて事業所、事業内容または予定などを確認します。
3.交換会の見学
加入の意思が確認された後、当組合開催の交換会(セリ)が見学可能になります。
交換会は会場設営、商品の出品、開札、会計などすべての業務を加盟店みずからの手で行っています。
積極的なお手伝いの参加をお願いしています。
4.承認
当組合の理事2名の推薦をもって理事会に諮り、理事会の承認を受けて正式の加入となります。
5.加入金と年会費を納入
・加入に際する入会金は15万円です。入会金は返還されません。
・組合費は2022年末現在、年24,000円(月額2,000円)です。
※古書組合加盟店で3年以上勤務の実績がある場合、加入金の割引があります。
これで組合への加盟手続きが完了です。
手続き完了後、札幌組合より全国古書連合会へ加入連絡をします。
全国古書連合会による登録作業が済んだら、全国の交換会(市場、セリ)と「日本の古本屋」を利用できます。
古書販売サイト「日本の古本屋」の魅力
「日本の古本屋」は、全国古書連合会が運営する古書販売のプラットフォームです。
「古書のプロ」である加盟店のみが販売できるサイトなので顧客からの信頼性が非常に高いです。
古書組合加盟の際はぜひ利用してみてください。
]]>年始は1月5日(木)より営業開始です。
12/31〜1/4は店頭営業をお休みさせていただきます。
通信販売の出荷業務は休み中も隔日ほどの頻度で行います。
「日本の古本屋」にて販売中です。
多くのご注文をいただけましたら幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
店主
]]>定休日:日曜日
時給は920円スタート(能力に応じて昇給有)。
交通費支給、雇用保険有。
募集 1名。
勤務地は、東区のお店です。
札幌市東区北26条東7丁目3-28
電話011-214-0972
営業時間 12:00〜17:00
簡単なPC作業ができる。(必須)
心身共にじょうぶな方。(本が詰まった段ボール箱を何十箱も運ぶ作業があります。冬季は除雪があります)
ほこりアレルギーがない方
仕事の内容は、古書店業務全般です。
通信販売(受注・梱包発送・登録・在庫管理・顧客対応など)と、店頭業務(レジ・顧客対応・電話対応・清掃など)の両方があります。
当店は和本などの古書から、専門書、新古本、文庫本などの古本、ジャズやクラシックのCDなど幅広いジャンルを扱っています。
心身が丈夫で、書物の世界全般への興味・好奇心を持っていただける方を募集します。
古本屋の仕事に興味のある人はぜひご一報下さい。
ご応募は、メール yosinariアットsnow.plala.or.jp にて受付けいたします。
件名を【アルバイト応募について】として下さい。
お名前、年齢、お住まいの市区町村をご記入ください。
追って面接日の相談をさせていただきます。
どうぞよろしく御願いいたします。
採用担当・吉成(店主)
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いちど本を買うと勢いがついてつぎつぎと買ってしまう。
『中世の写本ができるまで』(白水社)、著者のクリストファー・デ・ハメルは写本研究の第一人者で、サザビーズで中世写本部門の責任者を25年間務めたという。
写本を紹介する類書と一線を画すのは、羊皮紙やペンなど、書物をつくる素材に注目して解説している点。
書店でぱらりと本をめくると羊皮紙を作っている写真や、羽ペンの解説(どんな鳥の羽で、どう作るか)、インクに利用したラピス・ラズリの青い写真が目に飛び込んできて手放せなくなった。
印刷ではけっして再現できないオリジナルの「素材」の美しさ、その秘密をぞんぶんに教えてくれる本だ。
『カラー版 書物史への扉』(岩波書店)、著者の宮下志郎はラブレーの翻訳として皆さんご存じだと思いますが、私にとってはなんと言っても『本の都市リヨン』を書いてくださった人。本書は中世ヨーロッパから昭和の日本、現代の世界の翻訳までの書物史のなかから魅力あふれるエピソードを84冊も紹介している。すべてカラー図版がつき、見て美しく、読んで楽しい。新日曜美術館で紹介されていた最も豪華な書物『ベリー公のいとも豪華なる時禱書』も紹介されてます。
『寺山修司の写真』(青土社)、著者の堀江秀史さんはこれまで寺山修司関係書を出している。本書は寺山の写真の研究書のようなお堅い文体の本になっているが、取り上げられている内容はスコブル面白い。東松照明、中平卓馬、森山大道、篠山紀信、荒木経惟ら寺山修司の同時代の写真家との交流をとおして寺山写真を位置づけ、特徴を探っていることに興味がひかれた。燦然と輝く60年代写真家たちのなかにあって独特の写真活動をした寺山修司。その時代の熱気のなかで、ふたたび寺山写真が「問い」を発している。良い意味でラディカルな「アマチュア」でいつづけた寺山は、60年代の芸術家たち、写真家たちの影で隠然(not 燦然)と輝いていた。
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↓
毎週木曜日、吉増剛造さんYouTubeチャンネルにて動画配信
2019/9/26 外岡秀俊さんが朝日新聞に紹介記事「古書店、本と人を橋渡し」
2020/6/21 書肆吉成IKEUCHI GATE店が閉店(商業施設の老朽化のため)
2020/11/23 札幌大学のオンライン授業にて講演
1/28 書肆吉成YouTubeチャンネル開設、動画配信開始。(初回は『ナチスから図書館を守った人々』の紹介でした)
1/31 北海道新聞に書評寄稿(ピーター・W・M・ブレイニー著『シェイクスピアのファーストフォリオ』水声社刊)
2/13 港千尋さんによるトーク動画を編集配信
4/5 Hon.jpにてオンライントーク「古書店主が発信するYouTube」
4/19 北海道書店ナビ「書店のSNS活用ケース紹介 俊カフェ&書肆吉成編」
4/23 neoneoウェブに映画評寄稿「【Review】古書に魅せられて――『ブックセラーズ』」
4月 『月刊マスコミ市民』にて松本恭幸さんによる記事「北海道の古書流通」
6/15 談話「池内に本屋をつくって」『地域と人の歴史を紡ぐ 2』札幌市中央区中央地区第8町内会「おしゃべりサロン」でのトークが冊子化
7/1より開催のマンチェスターインターナショナルフェスティバル(イギリス)に出品された吉増剛造映像作品に字幕制作。キュレーションはハンス・ウルリッヒ・オブリストとレム・シセイ
8/27-29 高嶺格展「歓迎されざる者 北海道バージョン」(札幌市SCARTS hitaru)にドラマトゥルク(詩の選定)として参加
日本の古本屋メールマガジンに連載エッセイ寄稿
8/3 濡れた本
9/11 北海道ブックフェスのオンライントークにゲスト参加
10/1オープン予定の三菱地所グループのホテル「ザ・ロイヤルパーク・キャンバス札幌大通公園」にてライブラリーの選書を担当
]]>このたびWordpressを利用した新しいサイトにリニューアルいたしました。
リニューアル記念として、割引クーポンページをご用意いたしました。
店頭販売のみならず、日本の古本屋、在庫一覧からの注文にもご利用いただけます。
本の買取も10%アップになりますので、ぜひプリントアウトかスマホ画面などをご提示ください。
手作り感満載の旧ホームページには愛着がありました。
約13年ものあいだ立派に(?)看板としての役割を果たしてくれました。
しかし、お客様の見やすさ使いやすさを第一に考えてのリニューアルです。
2021年からはこの新しいサイトがたくさんの買取の縁を運んでくれることを切に願いつつ、日々の仕事をがんばりたいと思います。
店主
]]>
2021年の札幌は記録的な寒波で水道凍結祭りの新年となりました。
関東でコロナウイルスが爆発的流行となり緊急事態宣言が発令されたりと、
落ち着かない新年でございます。
当店は昨日(1月7日)に今年最初の本の出張買取があり、JR北海道の苗穂工場に行きました。
昨年は一般見学や苗穂工場祭りが中止になるなどコロナの影響があったそうです。
苗穂工場はすべての車両を年一回分解整備するための工場なのだそうで、そのコストが莫大なのだとか。
廃線論議がかまびすしいJR北海道。学生時代に釧網線を利用していた私としては、あのオホーツク沿岸を走る鉄路は残して欲しいなと願うばかりです。
今年も本の買取、販売にまい進する所存です。
どうぞよろしくお願いいたします。
店主
]]>書肆吉成東区本店の店頭営業と、古本買取、出張買取につきまして、
年内は12月30日まで営業いたします。
12月31日〜1月3日お休みをいただきまして、
年始は1月4日からは通常通りのサイクルで営業いたします。
月〜土 12:00〜17:00(日休み)
(春になったら少し営業時間を延ばせないか検討中です)
インターネットの通信販売では常時ご注文を受けつけております。
出荷は上記の年末年始休暇中、1月2日に行う予定ですが、
注文や問い合わせの全てに対応できないと思います。
その場合は1月4日以上に順次対応させていただきます。
何卒ご了承ください。
なお、当社が共同運営している詩人・吉増剛造さんのユーチューブチャンネルgozo's DOMUSは毎週木曜日の更新です。
年内最後はちょうど大晦日の朝に新作を更新いたします。
どうぞお楽しみにお待ちください。
来年が皆様にとって良い一年となりますこと、心よりお祈り申し上げます。
]]>6月には池内店が施設の老朽化により閉店しました。
撤収作業は大変でしたが、コロナ禍の状況下のなかでもし営業していたとしても、
市中心部の商業施設上層階の古書店にどれほどの仕事ができたかと考えれば、不幸中の幸いのタイミングだったと言えなくもないのかな、と思います。
現在の店頭販売は東区のお店に一本化し、そのほか江別と恵庭の倉庫で通信販売をおこなっています。
世の中が落ち着いてチャンスがあれば、また市中心部に書店を開き、イベントを開催していきたいものです。
池内店での経験は「古書店経営」のかけがえのない勉強になったと思います。
様々な活動はとても楽しいものでした。
お客様やご協力下さった方々には感謝するばかりです。
先月10月には、コロナ禍をかいくぐるようにして、古本市を開催することができました。
新さっぽろ駅直結のサンピアザ光の広場で、約1年ぶりの開催です。
参加店は少なかったのですが、それなりにお客様にお喜びいただけたという手応えがありました。
たくさんの古本を新しいお客様の手に引き継ぐことができ、私も嬉しかったです。
コロナの流行はしばらく予断を許さない状況が続くのでしょうが、
東区本店での店頭販売、インターネットでの通信販売の両輪を回して、
できるかぎりの古本をお客様のもとへ還流していければ幸いです。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
書肆吉成 店主 吉成秀夫 謹白
]]>
平素より書肆吉成をご利用いただきまして誠にありがとうございます。
この度の新型コロナウイルス感染症に罹患された方と、
ご家族・関係者の皆様に謹んでお見舞い申し上げます。
また、医療機関や行政機関の方々など、
感染拡大防止に日々ご尽力されている皆様に深く感謝申し上げます。
書肆吉成では、店舗内の衛生管理をはじめ感染拡大の防止策を徹底すると共に、
今後の営業継続を検討してまいりました。
しかし、新型コロナウイルス感染拡大を防止するために、
政府・自治体からの外出自粛要請もふまえて、
お客様と全従業員の安全確保を第一に考えた対応として、
東区の店舗と、中央区の商業施設IKEUCHI GATEに入居するテナント支店の両店を休業させていただくことといたしました。
お客様及び関係者の皆様にはご迷惑をおかけいたしますが、
何卒ご理解を賜りますようお願い申し上げます。
<休業期間>
2020年4月25日 ~ 5月15日(予定)
※今後の新型コロナウイルス感染症の感染状況、政府・自治体からの要請等によっては、
休業期間を変更することがございます。
その場合にはホームページ等にてお知らせいたします。
一日も早い新型コロナウイルス感染症の終息と、皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。
]]>
☆東区本店
お休み:12/29(日)〜1/5(日)
2020年営業始め:1月6日(月)
☆池内店
31日17時までの短縮営業。
元日休み。
2日初売りは9時〜19時。
3日通常営業。
どうぞよろしくお願い致します。
]]>誠に勝手ながら、2019年11月1日より東区本店の店頭営業時間を以下の通り変更させていただきます。
平日・土・祝=12時〜17時
日曜日定休
出張買取につきましては店頭営業時間に関わらず随時うけたまわります。
お電話いただけましたら日時をご相談させていただきます。
営業時間が短縮となり、お客様にはご不便をおかけしますが、
変わらぬご愛顧を賜れましたら幸甚です。
何卒よろしくお願い致します。
店主拝
]]>
定山渓温泉ぬくもりの宿ふる川さん8階に2019年9月1日に新しいラウンジがオープンしました。書肆吉成は「心のなかの木を育てる」というテーマで約200冊の本(詩集、絵本、写真集など)を精選し展示しました。
眺めのいいガラス張りの高層階に緑豊かな植栽と足湯、おいしい飲み物、厳選された書物たちがお出迎え。お客様の心と体のくつろぎの時間を演出します。
ぜひお越しください。
当店ではお客様のご要望に合わせた選書、展示を承ります。
並べたい本のテーマ、場所、冊数、ご予算をお伺いし、新刊書、古書のなかからベストマッチを演出します。
ぜひ一度お問い合わせください。
選書に関するお問い合わせ電話番号=080-1860-1085(吉成)
]]>
お陰さまで弊店は2月10日で一年を数えることができました。こんなに寒い時にオープンしたのだとあらためて気が付きます。一年前は開店に必死であまり憶えていません。9月6日の北海道大地震ではたくさんのご心配をいただきました。多少の被害がありましたが、停電から復旧してからは池内店のほうはぶじに営業に復帰できました。
古本の買取にも恵まれ、お店を運営してゆけております。
皆様にご厚情をいただきましてこの一年の営業ができましたこと、心より感謝申し上げます。
至らない点も多々あるかと存じますが、今後も変わらぬご愛顧をいただけましたら幸いです。何卒宜しくお願い申し上げます。
2018年2月10日の池内店オープン記念として、ギャラリーコーナーでは私の敬愛する詩人・吉増剛造先生の展示からはじめることができましたことは大変な喜びでございました。この一年で以下の展示を実現できました。
吉増剛造『火ノ刺繡』展&トーク 2/10〜4/26
金子遊『混血列島論』展&トーク 4/29〜5/25
大久保草子・今福龍太『ないものがある世界』展&トーク 5/26〜6/29
宇佐見英治『言葉の木蔭』展&トーク 7/1〜7/28
すずきまいこ『いつもおまえの気配をさがしていた』展&トーク 7/31〜8/23
久住邦晴・クスミエリカ(くすみ書房)『奇跡の本屋をつくりたい』展&トーク 8/28〜10/4(協力・カジタシノブ)
港千尋・岡部昌生「『風景論』特別版・木の物語」展&トーク 10/5〜11/11途中展示替え(協力・小室治夫)
松尾真由美・森美千代「『花章』から『雫たちのパヴァーヌ』へ」展&トーク 11/20〜1/19途中展示替え
森雅之・森環「あまい森 にがい森」展 1/21〜2/3
大友真志「Mourai」展&トーク(司会・谷口雅春 対話者・露口啓二)2/4〜3/10(開催中)
トークイベントにも多くの方々にご来場をいただきました。
上記の展示関連以外では、下記のトークを開催しました。
夏葉社・島田潤一郎トーク「小さな出版社のしごと」 3/2
初谷むい『花は泡、そこにいたって会いたいよ』刊行記念トーク(聞き手・山田航) 4/25
竹中英俊「出版人福沢諭吉の素顔」(書物文化協会) 6/29
木下龍也・岡野大嗣『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』トーク(初谷むい・石井僚一・ナナロク社代表村井光男氏も登壇/月夜野みかん企画) 7/7・7/8
浅生鴨『どこでもない場所』(左右社)重版記念トーク 10/30
帷子耀・金石稔『帷子耀習作集成』刊行記念トーク 11/21
山口拓夢・竹中英俊・加賀谷誠「山口昌男『古本的思考』」刊行記念トーク 11/22
『奇跡の本屋をつくりたい』展では出版にかかわった中島岳志、三島邦弘、矢萩多聞、クスミエリカの各氏ほかに、堀川淳子さん、塚田敏信さんにもご発言いただきました。このときは200名近いお客様にご来場いただき、立錐の余地もない超満員となりました。また第二弾トークとしてライター佐藤優子さんの司会で荒井宏明(ブックシェアリング)、加納あすか(かの書房)両氏によるトークが開催されました。一連のイベントの熱気をうけてエッセイ「久住さんのこと」を『ちゃぶ台』vol.4(ミシマ社)に寄稿しています。
飯村宏美さんが弁士として、無声映画上映会が「キートンの鍛冶屋」(8/24)、「鯉名の銀平 雪の渡り鳥」(阪東妻三郎主演)(12/31)の二回上演されました。大晦日の上映は特にすばらしかったです。
「絢の会」(小山美千代さん、神崎かをるさん)による朗読会(11/26)にもたくさんのご来場をいただき、後日新聞記事で大きく紹介されるなど反響の多い充実の会となりました。
レギュラーイベントとして「バクの事務所」(石橋玲・田中智康)のお二人による朗読会(ゲストにニシムラタツヤさんがいらしたこともありました)、勝田翔太さんを中心としたビブリオバトルが定例イベントとしてじょじょに定着してきています。また、田中美智子さんの月例朗読会が2/14より始まりました。
個人的には、北海道新聞「ほん」欄に池内店オープンの記事を大きく掲載いただけたこと、朝日新聞朝刊「北の文化」に店舗オープンの経緯と意気込みを寄稿(4/21付)したこと、『全国旅をしてでも行きたい街の本屋さん』(株式会社GB)、「O.tone」113号、ミニコミ「心のおとなりさん」no.19にお店を紹介いただけたこと、桜木紫乃『ふたりぐらし』、黒井千次『流砂』の書評を北海道新聞に寄稿できたこと、シアターキノで佐藤泰志原作の映画「きみの鳥はうたえる」(三宅唱監督)アフタートークをしたこと、露口啓二さんの「さがみはら写真賞」受賞記念会で露口啓二写真集の出張販売をしたことが印象深いです。
最近ではウェブ「北海道マガジン カイ」にてライター谷口雅春さんによる熱意ある紹介を頂戴し、大いに励まされました。http://kai-hokkaido.com/feature_vol42_bookstore1/
イベントのたびに著者や作家の方々にサイン本を作っていただき販売することができました。なかでもっとも有難かったのは、吉増剛造先生に大量のサイン本をつくっていただいたことです。詩集の見返しに署名を頂戴しながらゆっくりと様々なお話をお聞かせいただいたあの時間は生涯の宝です。(その翌日、吉増先生は北海道立文学館で『火ノ刺繡』刊行イベントで工藤正廣さん、高橋純さんと充実の対話をされました(旭川の柴田望さんらの詩誌「フラジャイル」3号に収録)。このときのお話もすばらしかった!)
また、港千尋『風景論』には、美術家の岡部昌生さんがオリジナルフロッタージュ栞を「スペシャルおまけ」として作成下さったことも、奇跡のようなことでした。
文月悠光さんに久しぶりにお会いし、サイン本をつくって頂いたのも嬉しいことでした。
お客様あってのこのお店であると、感謝の気持ちでいっぱいです。新刊・古本・ギャラリーイベントのいずれにつきましても、これからも充実の仕事をしてゆきたいと思っております。またお気軽に遊びに来て下さい。
今後ともなにとぞ宜しくお願い申し上げます。
店主・謹白
]]>
『半島論』(響文社)刊行イベントVol.5
サハリン島の先住者たち
金子遊(批評家・映像作家)×井上紘一(北海道大学名誉教授)
<企画趣旨>
札幌の出版社である響文社から刊行された『半島論』のトークイベントが好評を博しています。列島各地の半島における文学やアート、民俗や歴史を論じた同書について、これまで東京、横浜、京都、熊本で執筆者たちによるトークが開催されてきました。
第5弾となる札幌会場では、編者の金子遊が、樺太アイヌの言葉を採集した金田一京助と津軽半島のミッシングリンクを、ユーカラのなかに探りだします。トークのお相手には、シベリアや樺太島で先住民文化とピウスツキの研究をしてきた、北海道大学名誉教授の文化人類学者・井上紘一さんをお迎えします。
<イベントの詳細>
日程:2019年3月2日(土)15時〜
場所: 書肆吉成・丸ヨ池内GATE6店内ギャラリー
〒060-0061 札幌市中央区南1条西2丁目 IKEUCHI GATE 6F
席料:500円(税込)
問合せ電話:011-200-0098
ご予約:?お名前 ?ご連絡先(メールアドレスまたはお電話番号) ?参加人数を明記のうえ、yosinariikeuchi@gmail.com まで
金子遊(1974年、埼玉生まれ) 批評家、映像作家。慶應義塾大学非常勤講師。『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(2018年、響文社)の編者。『映像の境域』(2017年、森話社)でサントリー学芸賞<芸術・文学部門>受賞。他の著書に『辺境のフォークロア』(2015年、河出書房新社)、『混血列島論』(2018年、フィルムアート社)、『悦楽のクリティシズム』(2019年、論創社)など。
井上紘一(1940年、東京生まれ)、北海道大学名誉教授。北方ユーラシア専攻の文化人類学者、シベリア・中国東北部・樺太島などでフィールドワークに従事。半世紀以上にわたってブロニスワフ・ピウスツキの研究を推進する。主要著作:K. Sawada & K. Inoue (eds.), A Critical Biography of Bronisław Piłsudski, Vols. 1-2 (Saitama, 2010)、『ブロニスワフ・ピウスツキのサハリン民族誌〜二十世紀初め前後のエンチウ、ニヴフ、ウイルタ』(東北アジア研究センター叢書第63号、仙台、2018)など。
本が好きな人、古書店業に興味がある人はぜひご応募ください。
仕事内容は古書店業務全般となります。
古本屋の一日はだいたい以下の通りです。
朝は店内外の清掃にはじまります。モップがけ、雑巾がけ、トイレ掃除、(はたきをかけるかわりに)ブロアーで本のほこりを飛ばします。本のほこりを落としながら、店内のどこにどんな本があるのかを復習します。夏場はそとの除草、冬場は雪かきもあります。
お店は10時開店です。時間になったらシャッターを開けます。
節電の為2階はふだん電気をつけず、来客があれば「いらっしゃいませ」の掛け声とともにすぐさまスイッチを入れて2階を明るくします。お買い上げのお客様にはレジで商品と代金のやりとりをします。お客様の「こんな本が欲しいんだけど・・」「こんな本を売りたいんだけど・・」などご要望に受け答えをする接客があります。
お客さんがいないときは、精算レシート、領収書、買取伝票をノートに張り付けるといった簡単な事務作業や、本棚の整理もあります。
しかしなんといってもいちばん多く手間がかかるのが古書の通信販売業務です。
PCを起動してメールをチェック。
注文状況や、問い合せの有無を確認します。
注文のあった本を書架から取り出してきて、本の状態を確認します。登録のときに入力した状態と異なる瑕疵が見つかった場合はお客様に知らせるなどの対応が必要となります。「日本の古本屋」サイトからの注文は、お客様に送料を案内します。札幌市街のIKEUCHI GATE6F店、江別市、恵庭市にある支店や倉庫とメールのやり取りが必要になることがあります。
精算がすみ注文が確定したら梱包です。納品書を同封してビニール袋とクッション材と茶封筒に注文書を包み、そのうえに宛名を貼ります。注文数が多いときはひたすら梱包の単純作業がつづきます。
夕方前には集荷の人がくるので、それまでに梱包のできた商品を重さごとに数えて表に記入し、お客様へは出荷の案内通知を出します。これが受注・梱包・発送の作業です。
通信販売業務はそれだけではありません。本の登録があります。
最初はぞうきんタオルで本の拭き掃除をしながら状態を確認し、線引きや書き込みがないかをチェックします。慣れてきたら値付けもしてもらいます。いくつかのサイトを参考にしながら状態に合わせた価格を決定していきます。登録した本に値札を貼り、ジャンル毎に店内の本棚に陳列します。
そのほか、店頭には本を売りたいと言うお客様が本を持ちこんで下さいます。買取です。
買取価格の査定は、販売価格の値付けより難しいので、これはほとんど店主の吉成が担当しています。
店主が出張買取などで店を留守にしているときは、冊数が少なければ店主に電話で本のタイトルや状態などを伝えて査定額を決定します。冊数が多ければお預かりさせてもらえるか諒承をいただき、後日査定額をご案内して精算します。
買取査定の難しい傾向の本と、慣れれば簡単な傾向の本があります。
簡単なものから査定もできるように、時間をかけて覚えてもらいます。
ほか、途中に休憩や銀行や郵便局での記帳(精算確認)をはさみながら、
たくさんの本をあっちに持っていったりこっちに持っていったりする仕事が日常的につきまといます。
本の詰まって重くなった段ボール箱を運ぶのはけっこうな力仕事です。
このようにして、古本屋の一日は意外と忙しく時間が過ぎてゆくのです。
一日の終わりは、レジを精算し、出勤簿を記入し、電気を消し、火の元、水の元を確認したらシャッターをしめて施錠。これで18時です。
これに加えて冬になれば雪かきがあり、数カ月ごとにチカホなど市内各所で行われる「古本市」の準備や設営・運営にかりだされることもあります。
以上のとおり、暇なイメージのある古本屋さんですが、じっさいは結構いそがしく、また業務内容が多岐にわたります。
知的労働もあれば、単純作業もあり、事務作業も若干ありますし、接客もする。さらに力仕事まであるのです。
こうやってあらためて文章にしてみると、いやはや、大変ですね。
本が好きだから、古書の世界に興味がある、・・・仕事は大変かもしれないけど、やってみたい! という方がいらしゃっれば、嬉しいです。
古本屋の仕事をとおしてたくさんの本に触れ、本の世界の広大さと奥深さを学びながら、一冊でもおおくの本をあたらしい読者のもとへと送り返すことができるよう、ぜひいっしょに働きましょう。
意欲のある人のご応募をこころよりお待ちしています。
勤務地 札幌市東区北26条東7丁目3−28 書肆吉成店舗
時間 9:00〜17:00 休憩45分 週4〜6日。月24日前後の勤務
募集人員 若干名
時給 850円〜(試用期間3カ月は835円)。昇給あり
労働保険(労災保険・雇用保険)加入
交通費 実費支給
車通勤OK
メールか電話にてご連絡ください。店頭で面接をします。
電話 011−214−0972(営業時間内にお願いします。平日・土曜日は10時〜17時。日曜・祝日は12時〜17時)
メール yosinari@snow.plala.or.jp
]]>ねずみ色のスチール製の本棚だ。
東区本店とIKEUCHI GATEの2つの店でぎっしりと本を並べているそれらは、
くすみ書房大谷地店が閉店するときに貰いうけた。
2015年6月。突然のクローズの報せに、皆が驚いたあの日からすでに3年が過ぎ去った。
IKEUCHI GATE6F店のねずみ色の本棚には茶色いサビがういている。
ピカピカだったくすみ書房の棚は、この店ができるまでの約2年半のあいだに札幌市内の車庫、アパートの一室、小樽市の一軒家と場所を移し替えたが、そのなかで棚は急速に古びていった。
サビが出始めたことに、私はとちゅうから気づいていたが、そのときはどうすることもできなかった。
わざわざ久住さんにお願いをして貰いうけたものだが、じっさいには本棚を設置する場所がなかったのだ。
使う予定のない本棚は、大量の鉄の固まりとして倉庫の暗がりのなかで沈黙していた。
置き場所に困るといえばその通りで、持っているだけで毎月家賃がかかるのだから、早々に処分するのが通常だろう。
しかし、私はそれを捨てる気になれなかった。
どうにかして、生かしたかった。
もう一度この本棚に本を並べたかった。
「鉄製の本棚は冷たいかんじがして好きじゃないんだ」
くすみ書房が経営危機に直面したとき、打開策としてクラウドファンディングで資金を集め、それで店内のリニューアルをおこなった。
目玉は、木製の特注本棚の設置だった。
くすみ書房を訪ねると、いつも久住さんは私に今後の展開、構想を楽しそうに話して聞かせてくれた。
そのときは、どこかの書店の写真を見せてくれながら、こんな本棚を作ろうと思っているんだ、と教えてくれた。
その本棚は大きい枠組みで背板がないため本棚の向こう側が見える造りになっていた。
明るく、温かみがあり、風通しのよい本棚に、本がゆったりと、丁寧に並んでいた。
鉄製の本棚は棚の高さが変えられるので、効率的に本を並べることができる。
文庫本の高さ、単行本の高さにぴったりと合わせられて、滑りもいいので本の入れ替えも楽だ。
しかし、木製の棚はそうはいかない。決して効率的ではない。
にもかかわらず、久住さんは木の本棚のぬくもりを選んだ。
くすみ書房の閉店を惜しむ人でごった返すなか、
私は忙しそうに行き来する久住さんを掴まえて、
図々しいお願いですが、この鉄製の本棚を頂戴できませんでしょうかと、申し入れたとき、
久住さんは嫌な顔ひとつせず、二つ返事で了承してくれた。
私は、背が高くて本をたくさん並べられるタイプの本棚だけ貰えれば、自分の店や倉庫で効率的に本を保管できると思っていた。
ところが久住さんは、背の低い本棚や、雑誌の表紙面を陳列する棚を指さして、これも持っていくよね、と当然のように言った。
今度は私が二つ返事をする番だった。
いよいよくすみ書房の閉店時間が過ぎたとき、久住さんは最後まで残ったお客さんに向かって挨拶をしたようだが、私は立ち会わなかった。
私はどこかで「まだ終わっていない」と思っていた。
終わらせてはならない、閉店の言葉など、この耳に入れてはならない。
なぜなら、私はこの本棚で、これからも本を売り続けるのだから。
本棚を解体して、どうにか手配した車庫に運び出す作業は夜中おこない、記憶ではたしか二晩を要したはずだ。
木製の特注本棚については、また書店を再起したときに使うつもりだからこれはあげられないよ、と久住さんから言われたとき、うれしかった。
くすみ書房が再起できる目算があるのだと思ったから。大きな希望を感じた。
しかし、その後くすみ書房の倒産が報道され、負債総額が約5億円と知ったときは心臓が飛び出るほどに驚いた。
再起なんてできるのか・・・?
それからはきっと何かと忙しいだろうと、こちらから久住さんに連絡をとるのを控えた。
本当のことをいうと、どんな顔して会えばいいのか、わからなかったのだ。
翌年8月、書肆吉成はわずかな距離だが(道路を挟んだ斜め向かいへ)移転することになった。
その際に、車庫やアパートの一室に詰め込んでいた本棚の一部は移転先で利用することができた。
はじめは人目につかない倉庫で利用するつもりだったから、お客さんの目に触れるお店で使えることになっただけでも望外の喜びがあった。
しかしなお、新しい店に設置できなかったもの、背が低い棚、雑誌を面出しする棚が倉庫に残された。
その翌年、2017年2月23日。私はひさしぶりに久住さんに電話をした。
本棚のお礼をしたかったのだ。円山茶寮という喫茶店で会うことになった。
久住さんはちょうどその前月頃かに裁判所での債務免除がおわったと言って、閉店からこれまでどんなふうに過ごしてきたか一通りを聞かせてくれた。すさまじい苦労があったことがわかるお話だったが、それでも久住さんは深刻がることなく、淡々と、ときにはユーモアさえ交えてお話してくれた。すごい精神力だとおもった。
さらに、これから出版社との直接取引で新しい本屋を作るつもりだと、今後の構想を話しはじめた。
ちかく京都へ本屋の視察に行いくと。店の名前も考えている。Books Greenというミシマ社の本があって、その名前がいい。
原稿も書いていることも教えてくれた。
半年後の葬儀で、私は号泣していた。
2018年2月、書肆吉成IKEUCHI GATE6F店がオープン。くすみ書房の本棚がすべて甦る。
このあたらしい本屋がはじまって、6ヶ月が経った。
2018年8月28日。久住邦晴さんの命日に、新刊『奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの』がミシマ社より刊行される。
その刊行を記念して、書肆吉成IKEUCHI GATE 6F店内ギャラリーにて「くすみ書房」展を開催。
そして発売日に合わせてトークイベントを開催する。
中島岳志さん、矢萩多聞さん、三島邦弘さん、クスミエリカさんが登壇する。
くすみ書房から、私はまだ引き継ぎたいことがある。
だから、久住さんがいったい何を考えていたのか知りたいと思う。
私もまた一人の「町の本屋」であり続けるために。
]]>「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ in SAPPORO」
7月7日(土)18:00〜 岡野大嗣×初谷むい(トークと朗読&サイン会)
7月8日(日)17:30〜 木下龍也×岡野大嗣・Opening Act石井僚一(トーク&サイン会)
参加料金
1日のみ/1000円(税込)
2日通し/1500円(税込)
※ともにトークレジュメ&お土産つき!
ご予約(書肆吉成)
電話011-200-0098(10:00〜20:00)
メール yosinariikeuchi@gmail.com
場所 書肆吉成丸ヨ池内GATE6F店
札幌市中央区南1条西2丁目18 IKEUCHI GATE 6F
木下龍也と岡野大嗣の共著歌集、『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(ナナロク社)の作中舞台となる日付(7月1日ー7日)にちなんで、7月7日と翌8日に、札幌で刊行記念イベントを開催します。
スペシャルゲストは初谷むい、石井僚一!
書籍は、書肆吉成池内GATE店の店頭にて販売中です!
【著者紹介】
木下龍也(きのした・たつや)
1988年1月12日、山口県生まれ。歌人。2013年に第一歌集『つむじ風、ここにあります』を、2016年に第二歌集『きみを嫌いな奴はクズだよ』を出版。同じ池に二度落ちたことがある。
岡野大嗣(おかの・だいじ)
1980年1月1日、大阪府生まれ。歌人。2014年に第一歌集『サイレンと犀』を出版。反転フラップ式案内表示機と航空障害灯をこよなく愛する。
『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(ナナロク社)
挿込小説:舞城王太郎
装画写真:森栄喜
装丁:大島依提亜
判型:B6判変形 上製 136ページ
定価:1400円+税
発刊:2017年12月
ISBN:978-4-904292-77-8 C0092
書店info:書肆吉成では本の買取をいつでも承っております。ぜひお気軽にお問い合わせ下さい。
]]>【イベント情報】 2018年 7月・8月 夏
宇佐見英治 言葉の木蔭 展 〜ジャコメッティの思い出に〜
7月1日(日)〜7月28日(土) 宇佐見英治の自筆原稿・絵葉書・写真・掲載誌を展示し、
ジャコメッティと「絶対の友情」をむすんだ宇佐見の、故郷スタンパへの旅を振り返ります。
宇佐見森吉 トークイベント 〜宇佐見英治スタンパへの旅〜
7月14日(土)16:00〜17:30 要予約約500円
文筆家・宇佐見英治の生誕100年を記念した書籍『言葉の木蔭 詩から、詩へ』(港の人)をめぐり、ご長男の宇佐見森吉氏をお招きしてお話を伺います。ジャコメッティや矢内原伊作との交流のいきさつ、北海道との関わり、そして宇佐見英治の特徴である明澄な散文の背後にどのような由来があるのかなどお聞きする予定です。
すずきまいこ絵本原画展
7月31日(火)〜8月23日(木)
すずきまいこ(えとぶん)『いつもおまえの気配をさがしていた〜クマと森とわたし〜』、『ぼく生きたかったよ…〜くまのおやこニコーとリコー〜』(かりん舎)の刊行を記念し、原画を展示します。
トーク&サイン会「クマと森とまいこのはなし」
8月5日(日)15:00〜 出演・すずきまいこ つぼいけいこ
つぼいけいこ朗読/すずきまいこトーク(聞き手・吉成秀夫)/本へのサイン会
参加費(ドリンク付)500円(税込) 要予約011-200-0098(吉成)
第1回無声映画を体験しよう! 「キートンの鍛冶屋」 活動弁士・飯村宏美
サイレント映画「キートンの鍛冶屋」(1922・米・約20分・DVD)を弁士が実況解説して上映。
8月24日(金)15:00〜、18:00〜(二回上映) 各回とも入場料800円 予約011-200-0098 協力?マツダ映画社
朗読講座 ゲスト講師 ニシムラタツヤ 7月22日(日)15:00〜
バクの事務所(石橋玲、田中智康)による朗読講座。
今回は岐阜市で柳ケ瀬商店街を中心に100回を超える朗読会を開催するニシムラタツヤ氏をゲストにお話を伺うスペシャル版。
参加費500円( 要予約 )
朗読会 毎月第二日曜日15:00〜 7/8「走れメロス」
バクの事務所による朗読会。8月12日開催予定。無料。
ビブリオバトルin書肆吉成 7/15、8/19 (毎月第三日曜日) 聴衆参加・発表参加ともに無料
本の感想を伝えたい人、読書感想を聴いて本への関心・知識をひろげたい人、ご参加お待ちしております。
ビブリオバトルとは?→公式ホームページ http://www.bibliobattle.jp/
ふるってご参加ください。
書肆吉成 丸ヨ池内GATE店 札幌市中央区南1条西2丁目 IKEUCHI GATE 6F 10:00〜20:00 電話011-200-0098
]]>宇佐見英治 言葉の木蔭 展 〜ジャコメッティの思い出に〜
期間 2018年7月1日(日)〜7月28日(土)
時間 10:00〜20:00
入場無料
内容 「法王の貨幣」自筆原稿、写真、絵葉書、掲載誌、書籍など
トークイベント
7月14日(土)16:00〜17:30
出演 宇佐見森吉
席料 500円(ドリンク付き)
要予約 電話011-200-0098、メールyosinariikeuchi@gmail.com
宇佐見英治(1918−2002)は、1960年に彫刻家アルベルト・ジャコメッティと親交をむすんだ文筆家です。宇佐見はその交流を珠玉の追悼文「法王の貨幣」に残しました。
本展は、宇佐見英治生誕百年の節目に刊行された『言葉の木蔭 詩から、詩へ』(堀江敏幸編・港の人)を記念し、「法王の貨幣」の自筆原稿や関連する写真、絵葉書、掲載誌などを展示し、1960年当時の矢内原伊作を仲立ちとした宇佐見英治とジャコメッティとの交流の軌跡をたどります。
『言葉の木蔭 詩から、詩へ』をひもとく人はまずその端麗な散文に感動するのではないでしょうか。文章に余計な修辞はなく、物事の芯をまっすぐとらえる研ぎ澄まされた言葉が選ばれているのにもかかわらず、読者は情感豊かと言っていいような感覚が目覚めます。
晩年を知る、本書編者の堀江敏幸は、宇佐見英治の散文についてこう書き記しました。
「宇佐見英治の作品においては、どれほど物語の色を付けても、どれほど哲学的な言辞を連ねても、背後に詩人の眼が光っている」
本書がほとんど散文で構成されているにもかかわらず副題に「詩から、詩へ」とあるのは、この書籍にあるすべての言葉の木蔭にこの詩人の眼が貫かれていることを知らせます。
スタンパ。この簡素な響きをもつ地名が本展の鍵になります。宇佐見英治とジャコメッティのあいだの「絶対の友情」は、ジャコメッティの故郷であるスイスの小さな谷間の邑落への旅に結実します。
本展ではなによりもまず宇佐見英治の「文章」に出会っていただきたいと思います。そのなかで、ジャコメッティと交流し旅をする追体験をしていただければ幸いです。
7月14日(土)には、宇佐見英治のご長男の宇佐見森吉氏をお招きしてお話をうかがいます。宇佐見英治の全体像、北海道とのかかわり、そして散文の背後にある「詩人の眼の光」がなにに由来するのか、宇佐見氏の声の響きに時間の彼方の距離を探りながら『言葉の木蔭 詩から、詩へ』の世界を味わってください。
『言葉の木蔭』
著者 宇佐見英治
編者 堀江敏幸
出版社 港の人
発行年2018.3.23
ISBN 978-4-89629-346-3
定価 3200円+税
宇佐見英治(うさみえいじ)1918−2002
1918年、大阪に生まれる。詩人、文筆家。『同時代』同人として活躍、美術批評や翻訳も多数。とりわけ明澄な散文で知られる。『歴程』にも参加。明治大学教養部教授を務め、1988年定年。1982年『雲と天人』で藤村記念歴程賞、1997年宮沢賢治賞受賞。
『美術手帖』に寄稿したジャコメッティ紹介記事(1955年)を留学中の矢内原伊作に託したことが、矢内原がジャコメッティのモデルを務める最初のきっかけをつくった。片山俊彦、齋藤磯雄、辻まことらと親交し、その歿後は著作集等の編集に尽力。バシュラールやハーバード・リードの翻訳をてがけた。晩年は堀江敏幸と文通し年若い友人として深い信頼を寄せた。2002年死去。
著書
ピエールはどこにいる 東京創元社 1957
縄文の幻想 先史芸術と現代芸術 淡交社 1974、平凡社ライブラリー 1998.6
迷路の奥 みすず書房 1975
石を聴く 朝日新聞社 1978.12
辻まことの思い出 湯川書房 1978.12、みすず書房 2001.9
夢の口 湯川書房 1980.4
雲と天人 岩波書店 1981.10
三つの言葉 みすず書房 1983.1
芸術家の眼 筑摩書房 1984.5
方円漫筆 みすず書房 1992.12
石の夢 自選随筆集 筑摩書房 1994.12
樹と詩人 自選随筆集 筑摩書房 1994.12
明るさの神秘 みすず書房 1997.9
死人の書 小説とエッセー 東京創元社 1998.11
見る人 ジャコメッティと矢内原 みすず書房 1999.9
海に叫ばむ 戦中歌集 砂子屋書房 1999.6
言葉の木蔭 詩から、詩へ 港の人 2018.3、堀江敏幸編
共著
古寺巡礼京都 妙法院 三十三間堂 三崎義泉共著 淡交社 1977.6
古寺巡礼奈良 円成寺 田畑賢住共著 淡交社 1979.2
対談ジャコメッティについて 矢内原伊作 用美社 1983.10
一茎有情 対談と往復書簡 志村ふくみ 用美社 1984.10/ちくま文庫 2001.2
]]>
日時 2018年6月29日(金)18:00〜
場所 書肆吉成丸ヨ池内GATE店内ギャラリー
席料 500円
予約 要申し込み 電話011-200-0098 メール yosinariikeuchi@gmail.com
協賛 北海道大学出版会
【趣旨】
福沢諭吉についてはほとんどの人がその名前を知っているでしょう
150年前の1868年(慶応4=明治1)年、福沢は、
今回の講座では、
【講演内容】(予定)
3. 福沢諭吉の歩み:《読む人、書く人、作る人、売る人》
⑴ 『増訂華英通語』
⑵ 独立自営自営出版「福沢屋諭吉」
⑶ 『学問のすゝめ』
⑷ 『文明論之概略』
⑸ 時事新報社
⑹ 丸山眞男
4. 本の未来を振り返る
5. 質疑応答
【竹中英俊氏プロフィール】
1952年生まれ。
編集者としては「横断媒介」をキー概念として、
【竹中英俊の「わたしの偏愛する表現者20人」】
山上憶良、大伴家持、世阿弥、芭蕉、蕪村、北村透谷、島崎藤村、
]]>
※2月10日オープンの新店舗です。
業務内容は、古書店店頭業務全般です。
(清掃・レジ・接客・POP作り・拭き掃除・値付け・データ入力・買取対応・品出し・本の移動・通販業務・展示など)
時間 9:30〜20:15の間で実働5〜8時間/シフト制 週3〜6日。月24日前後の勤務可
※今回はおもに14:30〜20:15、週3〜4日程度出勤できる人を中心に募集しております。
募集人員 1名
時給 810円〜(経験者優遇あり)。昇給あり
労働保険(労災保険・雇用保険)加入
交通費 応相談(これまでは1万円を上限に実費支給しています)
イケウチゲート店では、新刊書として詩と写真と人文書の分野で目覚ましい書籍を出版している版元のコーナーを設けており、
古書は美術、鉄道、北海道関係書に力を入れたセレクトショップです。
ほか小説・エッセイ・児童書・趣味の本など幅広い古書の取り扱いがあります。
基本的なPC操作ができて、本が好きな人、書店員のお仕事が好きな人、ぜひご応募下さい。
応募はメールか電話にてご連絡ください。池内店で面接をします。
電話 011−200−0098(電話受付時間=平日・土曜日の10時〜17時)
メール yosinari01@gmail.com
]]>【イベント情報】
2018年 5月・6月 古本の買取りは毎日受付中!
今福龍太『ないものがある世界』展
水声社 2200円+税
6月2日(土)16時〜18時
今福龍太 トークイベント〜『ないものがある世界』をめぐる旅〜
「パルティータ」(水声社)全5巻完結記念。要予約500円 ※定員になり次第予約終了とさせて頂きます。
人類学者の想像力から一編の物語が生まれました。少年ノアによるあらたな創世の寓話によって現代社会の窮地を照らす物語です。「ないものがある世界」とは何か。創作にこめた思いを語ります。
5月26日(土)〜6月29日(金)
大久保草子 挿絵木版原画展 観覧無料
版画家・大久保草子が『ないものがある世界』の神話的想像力を木版に結実させた見事な作品世界。
copyright:大久保草子
竹中英俊講演会 6月29日(金)18:00〜 要予約500円『ないものがある世界』展クロージングトーク
テーマ:出版人福沢諭吉の素顔 明治150年から未来を振り返る。
これまで450点以上もの編集を手がけた竹中氏(元 東京大学出版局編集局長、現 北海道大学出版会相談役)が、福沢諭吉と書物の歴史を中心に未来の出版像を展望します。読書家必聴の講演です。
開催中! 4月29日(日) 〜5月25日(金)
金子遊写真展 「混血列島のフィールドワーク サハリン・北海道・八重山・台湾」
『混血列島論』出版記念。写真作品とフィールド資料の展示、一部販売 観覧無料 主催/幻視社・書肆吉成
金子遊『混血列島論』フィルムアート社 3000円+税
朗読会「疑惑」(江戸川乱歩) 5月13日(日)15:00〜 無料
バクの事務所(石橋玲、田中智康)による朗読会。次回は6月10日予定。
ビブリオバトルin書肆吉成 5月20日(日)16:00〜
本の感想を伝えたい人、おすすめ本を聴きたい人、ご参加お待ちしております。 入場・参加無料 第三日曜日に定期開催。次回は6月17日予定。
朗読講座 5月27日(日)15:00〜
バクの事務所(石橋玲、田中智康)による朗読講座。500円( 要予約 )
【古本市】
アツベツ古書の街
5月6日(日)〜8日(火)10:00〜20:00 新さっぽろサンピアザ1F光の広場
主催/札幌古書籍商組合・紀伊國屋書店
チカホ古本市「札幌ブキニスト in チカホ」
5月20日(日)〜22日(火) 地下歩行空間憩いの広場(西)
9:00〜19:30 (初日は14時〜、最終日は17時まで) 主催/札幌古本セーヌ会
書肆吉成/丸ヨ池内店 札幌市中央区南1条西2丁目 IKEUCHI GATE 6F 10:00〜20:00 011-200-0098
東区本店 札幌市東区北26条東7丁目1-17 10:00〜17:00(日祝12:00〜) 011-214-0972
]]>
金子遊写真展 「混血列島のフィールドワーク サハリン・北海道・八重山・台湾」
『混血列島論 ポスト民俗学の試み』(フィルムアート社)刊行記念
<企画趣旨>
3月末にフィルムアート社から金子遊の5冊目の著書『混血列島論 ポスト民俗学の試み』が刊行された。島尾敏雄の「ヤポネシア」や谷川健一の「マクロネシア」といった考えを取り入れながら、日本列島をサハリンや千島列島、台湾やインドシナ半島とのつながりから考察する21世紀のポスト民俗学の本である。
著者の金子は、それらの地域を旅してフィールドワークを続けながら、ウィルタ、アイヌ、宮古・八重山の人びと、タイヤル族、パラオ人、アカ族、ラフ族、ムラブリ族といった少数民族の人たちの姿とその生活風景を記録し続けている。本写真展では、『混血列島論』であつかわれる人びとや事象をギャラリーにおける写真展示によって、立体的に表現してみたい。
また、4/29(日)の写真展初日には、著者の金子遊が来店し、『混血列島論』にまつわる短編映像作品を上映しながら、主にサハリン、北海道の少数民族とオホーツク圏をとらえた映像についてオープニング・トークをおこなう。終了後にサイン会、写真作品の展示即売会をおこなう。
<写真展の詳細>
日程:2018年4月29日(日)〜5月25日(金)10:00〜20:00
場所: 書肆吉成・丸ヨ池内GATE6F店内ギャラリー(札幌市中央区南1条西2丁目IKEUCHI GATE 6F)
電話:011-200-0098
写真作品数:14点前後
写真作品とフィールド資料の展示、一部販売 観覧無料 主催/幻視社・書肆吉成
4月29日(日)15:00〜17:00
金子遊写真展オープニングトーク&サイン会
出演:金子遊(批評家、映像作家、民族学研究) 聞き手:吉成秀夫
『混血列島論 ポスト民俗学の試み』(フィルムアート社)について映像作品の上映を交えたトーク
お椅子代500円(要予約 011-200-0098)
内容:『混血列島論』から、サハリンのウィルタ民族とゲンダーヌについて、オホーツクの漁る人びとを撮った映画作家・土本典昭について、N・G・マンローが撮った二風谷アイヌの悪魔祓いなどについてトーク。また、著者が撮影した短編の映像作品などを上映する。
※終了後に展示品即売会、サイン会を開催
金子遊(かねこ・ゆう)批評家、映像作家、民族学者。奈良前衛映画祭グランプリ受賞(2008年)、映画芸術評論賞佳作(2009年)、サントリー学芸賞受賞(2017年)、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2015」コーディネーター。他、著書・映画作品多数。
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書肆吉成/丸ヨ池内店 札幌市中央区南1条西2丁目 IKEUCHI GATE 6F 営業時間 10:00〜20:00 電話 011-200-0098
古本買い取り受付中です。
【イベント情報】
4月8日(日)15:00〜 朗読会「杜子春」
バクの事務所(石橋玲、田中智康)による朗読会。無料
4月15日(日)16:00〜 ビブリオバトルin書肆吉成
読んで面白かった本の感想を伝えたい人、聴衆としておすすめ本を聴きたい人、どちらのご参加もお待ちしております。 入場・参加無料 ビブリオバトルは第三日曜日に定期開催を予定しています。次回は5月20日予定。
4月22日(日)15:00〜 朗読講習会
バクの事務所(石橋玲、田中智康)による朗読講座。500円( 要予約 )
4月25日(水)18:30〜 歌集『花は泡、そこにいたって会いたいよ』刊行記念トーク&サイン会
出演:初谷むい(歌人)、山田航(歌人) 主催/書肆侃侃房・書肆吉成 入場無料
4月29日(日)15:00〜17:00 金子遊写真展オープニングトーク&サイン会
出演:金子遊(批評家、映像作家、民族学研究) 聞き手:吉成秀夫
『混血列島論 ポスト民俗学の試み』(フィルムアート社)について映像作品の上映を交えたトーク
お椅子代500円(要予約 011-200-0098)
4月29日(日) 〜5月25日(金)
金子遊写真展 「混血列島のフィールドワーク サハリン・北海道・八重山・台湾」
写真作品とフィールド資料の展示、一部販売 観覧無料 主催/幻視社・書肆吉成
【古本市】
アツベツ古書の街
5月6日(日)〜8日(火) 新さっぽろサンピアザ1F光の広場
主催/札幌古書籍商組合・紀伊國屋書店
チカホ古本市「札幌ブキニスト in チカホ」
5月20日(日)〜22日(火) 地下歩行空間憩いの広場(西)
主催/札幌古本セーヌ会
書肆吉成/丸ヨ池内店 札幌市中央区南1条西2丁目 IKEUCHI GATE 6F 10:00〜20:00 011-200-0098
東区本店 札幌市東区北26条東7丁目1-17 10:00〜17:00(日祝12:00〜) 011-214-0972
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初売りは1月4日から!
営業時間 10時−18時(日祝12時−18時)
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10月29日(日)16:30〜
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先月、北海道ブックフェス関連イベントとして、当店2階でビブリオバトルが開催されました。
私ははじめて見たのですが、なかなか面白いイベントでした。
ビブリオバトルは、発表者(バトラー)が持ち時間5分でそれぞれ自分の読んだ本をおすすめするイベントです。
1冊につき5分なので短い時間でぱぱっと小気味よくすすんでいきます。
ふーん、そんな本があるのかぁ、とか
それは自分も読んでみたいなぁ、など
いろいろ興味が惹かれる本がありました。
発表が一通り終わると質問タイムがあり気になったことを質問できます。
その後聴衆はみんな目をつむり、今回の発表のなかで自分が読んでみたいと思った本に挙手をしてその日のチャンプ本を決めます。
ふだん本は読んだらそれでおしまいですが、
こんなふうに気軽に本の感想を言い合ったり、
知らない本を教えてもらえたりする機会があるのはとても良いことだな、と思いました。
この人はこんな本を読んでいるんだなぁとか知るのも楽しいです。
ゲーム形式なのでイベントにメリハリがついているのも好もしいです。
読書サークルに参加しているような気分になりました。
そこで、主催の「さっぽろビブル」さんと相談しまして、
当店で毎月ビブリオバトルを開催することになりました(!)。
演るのも聴くのも無料です。
最初はためしにどんなイベントなのか見学してみて、
つぎは自分の好きな本、面白かった本をみんなにオススメしてみる。
そんなふうに継続しながら「読書の輪」をひろげていければいいなぁと思っております。
本について語り合いたい人。
本を紹介したい人、紹介されたい人。
人前でお話ができるようになりたい人。
読書好きの知人・友人を増やしたい人。
プレゼンテーションが上手になりたい人。
なんか面白い本ないかなぁと思っている人。
そう、そこのあなた!
本は読んで終りじゃない。
そこから一歩ふみだして、誰かに「この本、面白かったよ」と語りはじめたら、
そのさきに大きな人の輪が広がっているかもしれませんよ。
ぜひお気軽にご参加くださいね。
↓
第二回 ビブリオバトル at 書肆吉成2階
10月29日(日)16:30〜
(終了時間は発表者の人数によりますが、だいたい30分〜1時間位のイベントになると思います)
場所 書肆吉成2階「書道・美術書・建築書コーナー前ミニ広場」 札幌市東区北26条東7丁目3-28
参加無料
主催 さっぽろビブル
終了後の懇親会はとくに用意がありませんので、
できましたら任意でそれぞれ交流をはかっていただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。
ビブリオバトルについては下記のサイトも参考に御覧ください。
知的書評合戦ビブリオバトル公式ウェブサイト「人を通して本を知る.本を通して人を知る」
]]>本日の入荷本。
平凡社ライブラリーの
中川裕『アイヌの物語世界』、
金田一京助『ユーカラの人びと』、
小泉文夫『音楽の根源にあるもの』
は線引き有るため安いです。
加藤徹は『漢文力』『怪の漢文力』の二冊が入りました。
内村剛介『生き急ぐ スターリン獄の日本人』の口絵には香月泰男の油彩画がカラー印刷されています。
李良枝、金石範。
ロラン・バルト『エクリチュールの零度』は半額位です。
ご来店お待ちしております。
]]>当店は1月3日より通常営業をしております。
ことしも新しい読者へ、新しい時代へと一冊でも多くの本を受け継いでゆきたいと思っております。
学術専門書、趣味の本、芸術、人文書籍の買取・購入はぜひ書肆吉成をご利用ください。
皆さまの読書や本棚づくりにすこしでもお役に立てるよう、微力を尽くして精進いたします。
昨年はお蔭様で現在の札幌市東区に店舗を購入することができました。
今後は地に足をつけた仕事ができるよう邁進し「良書の買い取りなら書肆吉成」と言っていただけるようがんばります。
また、倉庫は江別・恵庭・小樽へとひろがり、書肆吉成全体で約280坪の店舗・倉庫を構えるにいたりました。
本の大量の買取にも対応できますので、どうぞご用命くださいませ。
従業員一同心よりお待ち申しております。
書肆吉成では古本の取り寄せサービスをおこなっております。
インターネットで本を買うことに慣れないご年配のお客様におおくご利用いただいております。
ご希望の本の値段や状態をお聞きし、日本の古本屋やアマゾンの登録商品のなかからご相談のうえ取り寄せます。
詳しくは店頭にてお問い合わせください。
また、今年はさまざまな店内イベントを開催できればと思っております。
トーク、ライブ、作品発表、パフォーマンス、朗読、リーディングなどの場として活用いただけるよう「ご利用の手びき」を作成中です。
たくさんの方々に当店を楽しんでもらえる「動きのある古本屋」として積極的に活動できる一年にしたいです。
やりたいことは沢山ありますが、騒がずあわてずに(おみくじに書いてありました)できることを着実におこなっていきたいと思っております。
本年もご愛顧のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
2017年1月3日
店主 吉成秀夫
]]>年末年始の12月31日・新年1日・2日の三日間をお休みします。
店頭買取・店頭販売はお休みですが、メールでのお問い合わせやご注文、
また日本の古本屋サイト、Amazonサイトでの注文は随時受け付けております。
お休みのあいだにいただいた注文や問い合わせは、新年1月3日から随時対応させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
]]>仕事内容・古本業務全般。主に通信販売の梱包・発送と、本のクリーニング、慣れてきたらデータ入力
勤務地・江別市文京台29-8(札幌学院大・北翔大にすぐそば、酪農学園大徒歩圏内)
時間・10時〜17時で週5、6日
資格・未経験者OK。経験者優遇。普段から読書してる人大歓迎。基本的なパソコンのスキルは必要です。学生歓迎:日数・時間応相談(授業の空き時間で働けます
時給・790円〜
ご応募希望の方は電話かメールにて。
電 話 011-214-0972(受付時間は10時〜16時)
メール yosinari@snow.plala.or.jp(24時間受付けます)
]]>
12月22日(木)18:30開場、19:00開演
当日 1000円(予約800円)
書肆吉成(札幌市東区北26東7ー3−28)
メール yosinari@snow.plala.or.jp
電話011−214−0972
※ 駐車場がせまいのでなるべく公共交通機関などでご来場ください。
いまや日本全国で開催されている一箱古本市の発案者で雑誌『ヒトハコ』の編集発行人である南陀楼綾繁さんをお招きして、
雑誌のこと、各地の一箱古本市の様子などをお聞きするトークイベントを開催します。
ふるっておこしください。
]]>
【日時】10/21(金)〜10/23(日)10:00〜21:00
【場所】新さっぽろ駅直結紀伊國屋書店前「光の広場」
当店も出店予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
]]>場所は旧店舗から道路をはさんで斜め向かいです。
近所とはいえ、真夏の移転作業は大変なものでした。
東区に出店してから7年目での移転となりました。
ぶじケガも事故もなく8月2日仮オープン、8月19日に本オープンをすることができました。
古本の店頭買取、出張買取の受付や店頭販売をおこなっております。
駐車場は店の東側に細長くあります。軽自動車でしたら店舗前面に駐車いただけます。
あたらしいお店は、これまで以上にわくわくする古本屋にしたいと思っております。
今後とも変らずのご愛顧のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
新店舗住所
〒065-0026
札幌市東区北26条東7丁目3-28
(ロイヤルホスト美香保店、パックマンアサヅマ・キャロット、石垣整形外科の交差点を西へ二件目)
交通機関
地下鉄は東豊線元町駅より徒歩約12分。
バス停は「北26条東8丁目」、あるいは元町線の「北24条東8丁目」
札幌市中心部からは、バスターミナルからの北光線、あるいは札幌駅北口からの北光・北口線でバス停「北26条東8丁目」下車。
地下鉄南北線の北24条駅か東方線の元町駅からは元町線で「北24条東8丁目」下車。
FAX 011-214-0970
電話 011-214-0972
ケイタイ 080-1860-1085(業務用)
メール yosinariアットsnow.plala.or.jp
南向き二階建ての店舗です。売り場面積は約40坪。
駐車場は店舗東側にあります。
店内のようす。大急ぎで本を詰め込んだため本の並びがぐちゃぐちゃです(汗)。
以前の店舗より通路を広めにとりました。見やすくなったと思います。
勾配のゆるやかな螺旋階段を設置しました。二階にお上がりいただけます。
二階は古書の単行本などが並んでいます。ほとんどが「日本の古本屋」サイト登録在庫です。
木造建築をリフォームしたため残った柱にベニヤで化粧をし、ナチュラル感のある書店空間になっています。
二階にクラシックCDコーナーがあります。まだ空いている棚があるので、これからネット未登録在庫を増やそうと思っています。
]]>
サウダージ・ブックスとは?
香川県や兵庫県など瀬戸内地方に根をおろした「旅」をテーマにする出版レーベルです。
文芸書、人文書、ノンフィクション、写真集などの本を作っています。
最近では、日系ブラジル移民の写真家大原治雄の写真集を出版し、その展覧会がNHK日曜美術館に取り上げられるなど大きな話題を呼んでいます。
ブラジルの光、家族の風景: 大原治雄写真集
この写真集の反響があまりに大きく、今回のトークイベントの打ち合わせ時間がなかなかとれないという事態にまで発展していました(汗)。おかげで告知がいまになってしまいましたm(_ _)m。
北海道とのかかわりは?
1970年代にブラジルから札幌大学にサッカー留学生として来日し、ブラジル式のサッカーやフットサルを日本に広めたネルソン松原氏の自叙伝『生きるためのサッカー ブラジル、札幌、神戸 転がるボールを追いかけて』を2014年に刊行しています。
また、サウダージ・ブックスの前の活動になりますが、文化人類学者・山口昌男氏の札幌大学での講義録『学問の春 “知と遊び”の10講義 』(平凡社新書2009年)の編集をしています。
どんな経緯があるの?
じつは淺野卓夫さんと私吉成とは、私が学生だった頃(私はまさにその札幌大学の学生でした)からの旧知の仲で、そのころはまさか淺野さんが将来出版社をおこすとは思っていませんでした。
淺野さんといえば、名古屋、ブラジル、大阪、奄美、札幌、沖縄、韓国、小豆島といつのまにか居を移し、そのつど土地と深いコミットメントをはたしてはまたふらりたち去ってゆく、そんな旅人のような生き方をしている不思議な人という印象です。
「土地と深いコミットメント」と書いたのは、私からみると淺野さんの人生はその土地土地の縁によって育まれたとしかいいようのない生き方をしているからで、それは簡単には言い表せないのですが、あえていえば「ノマド」(遊牧民の意。土地を移動しながら生きてゆくスタイル)であった、そういう旅を生きている人です。
その彼の「ノマド人生」は、その話だけでいつまでも聞いていられるほど起伏の富んだエピソードが満載でおもしろいのですが、しかし待てよどうも最近様子がおかしい、注意深く彼の仕事をみてみるとこれまでの「ノマド」というライフスタイル、ワークスタイルが、なにかひとつ別の化学反応を引き起こしはじめているらしいことに気がついてくるのです。
それを私は仮に「ヴァナキュラー」と言ってみたい。そんな欲求がわいています。
「ヴァナキュラー」とは「その土地固有の、土着の、風土の」といった意味で、その土地に根ざした環境にマッチした建築様式などをさしていう言葉です。彼の出版活動を見ていると、「土地」や「風土」といったキーワードが見えてくるのです。
さぁ、これまでの土地を渡り歩く旅人の「ノマド」から、「土地固有の」生き方、仕事のあり方へのシフト。
あるいは「移り住むこと」と「土着であること」との二律背反から生み出される、淺野卓夫さんの出版(パブリシング)とは、いったいどんなものなのでしょう。
サウダージ・ブックスの出版活動のユニークさって?
たんに「東京の出版」に対しての「地方出版」(ローカル)ではなく、
もっとクリエイティブに、もっとクリティカルに、「地方で出版すること」を問います。
そして願わくば、この北海道の地にヴァナキュラー・パブリシングの種が蒔かれますようにと、経営の具体的なところまで突っ込んで聞き出そうと思っています。たとえば最近注目の新しい出版流通形態である「注文出荷制」とはどんなものかです。そしてこれがもしかしたら一番重要なポイント?、「出版は採算が合うのか?!」
乞うご期待!
【タイトル】『ひとりではじめる地方出版社のつくりかた―サウダージ・ブックスのヴァナキュラー・パブリシング』
【ゲスト】淺野卓夫(サウダージ・ブックス)
【聞き手】吉成秀夫
【日時】6月10日 19:00オープン/19:30スタート
【入場料】1000円(ワンドリンク付)
【場所】古本とビール アダノンキ
【住所】北海道札幌市中央区南一条西6-8-2 第2三谷ビル 2F
【定員】約20名
ご予約は下記にて承ります。
メール yosinari@snow.plala.or.jp
電 話 011-214-0972(書肆吉成 受付時間11時〜18時)
12月31日は17時まで。
元旦〜1月4日まで正月休み。
5日から通常営業です。
明日(28日)17:00まで地下歩行空間で古本市を開催中です。お買い逃しなく!
年末年始もどうぞよろしくお願いいたします。
2015年8月6日(木)から8月10日(月)まで
(10時―20時)
場所:さっぽろ東急百貨店・9F催事場
主催:札幌古書組合
それにともない、「さっぽろの古本屋」目録を作成しました。
催事目録が発行されるのは札幌では何年振りか、しばらくぶりの快挙(?!)です。
以下のリンクよりぜひご高覧ください。
(↑ご注文の栞が各PDFファイルの最後のページにありますのでご一読下さい)
書肆吉成も多数出品しております。当日ぜひ会場へお越しください。どうぞよろしくお願いいたします。
また、当店は本やCDの買取を大歓迎しております。売りたい本をお持ちの方はぜひ一度弊店へご連絡下さい。もちろん出張買取も大歓迎しております。
買取問合せ電話番号 011-214-0972
どうぞよろしくお願いいたします。
]]>私を迎えてくれた男性は、母親が他界し父親が老齢で施設に入ることになって家に住む者がいなくなるので家のなかを片づけているのだと言った。階段をあがったところの本棚をさっそく見せてもらった。倶知安町史の他、有島武郎など北海道文学関係書、趣味の革工芸の本、文芸誌やタウン誌などがあった。けっして多い量ではないが、しぶめの文学好きであることが見て取れた。
「文学がお好きだったんですか」
と私が聞くと男性は、
「これらは母の本です。へたな文章を書いていたので、そういう本がおおいんです」と言った。
なるほど文芸誌のいくつかには表紙に手書きでタイトルらしき文字の書き込みがある。自作が掲載されているのだろう。
「へたというのはご謙遜でしょう。どんなものを書いていたのでしょうね」と話をふってみると、男性から思わぬ言葉が返ってきた。
「沼田流人、という作家を知っていますか?」
マイナー作家だが、私はたまたまその作家を知っていた。かつて一冊買ったことがある。
「ええ、倶知安のプロレタリア作家ですよね。数年前に一冊復刊されています」
「さすが古本屋さん、よく知ってますね。じつは私の祖父がその沼田流人なんです。この蔵書は流人の娘である私の母がのこした本なのです」
「えっ」
これにはさすがに驚いた。どうりで倶知安町史と北海道関係の文学書があるわけだ。
沼田流人と言われて、すぐに作品名をあげられる人は少ないだろう。小林多喜二より五歳年上のプロレタリア作家である。倶知安に住んで作品を書いていたが、世に発表された作品は決して多くない。そのうえ出版されてもすぐときの権力によって発禁処分をうけたために、ほとんど知られざる作家なのである。古本市場で比較的入手しやすい北海道文学全集の一冊に多喜二、葉山嘉樹とともに作品が収録されているが、伏字だらけで読めたものではない。
私が沼田流人を知るきっかけとなったのは、札幌郷土を掘る会が2010年に沼田の『血の呻き』を復刊したことを北海道新聞の記事で目にし、発行元から直接購入したからだった。伏字のない「完全版」からの部分復刊で、さらに解説が多くほどこされてとても丁寧に編集されている。この本もいまや入手困難であるらしい。『小説『血の呻き』とタコ部屋―酷使・虐待・使い捨て場の地獄、それらを守る巡査と検閲―札幌民衆史シリーズ11』というタイトルで、当時は1200円+税で買えた。
いわば幻のプロレタリア作家であるこの沼田流人の娘の蔵書を私が買わせてもらうことになるとは。古本屋という仕事の不思議な縁を感じ、私は陶然とした気持ちになった。
沼田流人の人生や文学についての詳細は武井静夫が倶知安双書の一冊に評伝を書いている。しかしこれも入手困難だろう。郷土本という性格上、どこにどう流通しているのか、どこで買うことができるのかわからないからだ。著者の武井静夫は北海道文学の評論家であるが、沼田流人とは沼田が書道を教えていた学校で同僚だった時期があるらしい。武井によると沼田は苦労人だったようだ。
私が興味をひかれるのは、沼田流人がはじめて著書を刊行しようとした出版社が「叢文閣」だったことである。この出版社は有島武郎を心底慕っていた足助素一という人が興したのだが、この足助はそのむかし札幌で古本屋・貸本屋を営んでいたことがある。足助素一は札幌古書業界草創期をリードした伝説の一人なのだ。足助素一についてはいくつか本があるが、岡茂雄『古本屋風情』にも激しい気性の持ち主である足助のようすが描かれている。沼田流人は里見?と有島武郎の知遇を得た縁で、有島と懇意の叢文閣から最初の著作が刊行されるてはずとなった。新聞広告をうって大々的に沼田の処女作を刊行しようとしていたのだが、出版直前の1923(大正12)年6月9日に有島武郎が心中で他界した(7月7日に発見)のをうけて、叢文閣の出版担当者(おそらく足助だろう)は失意に沈んで仕事が手につかなくなり、『血の呻き』の出版話もうやむやになりかけたが、1923(大正12)年6月5日付けで発行され、そしてすぐさま発禁になったようだ(※諸説あり)。
沼田の著作はその後べつの出版社からも刊行されるが、すぐまた発禁になる。伏字や書き直しをしてあらたに刊行してもまた発禁をくりかえした。30歳になった沼田は結婚を機に小説家の道をあきらめた。二男四女を養うために、また「周囲の人達に迷惑がかかってはいけない」と思っての断筆だったようだ。
沼田は50歳になって倶知安高等学校の書道の講師として、また図書室の貸し出し業務の助手として勤務した。お酒をこよなく愛す人生をおくり、学校を退職した三年後の1964(昭和39)年、最期のときにも好きなウイスキーの水割りをおいしそうに呑みほし、そのまま静かに息をひきとったという。67年の生涯だった。
さて、今回私が本の買取りに呼ばれたのは、二女の瑜璃子さんの息子の男性からの依頼だった。瑜璃子さんは文芸誌「抒情文芸」に「佐藤ゆり」、同人文芸誌「人間像」に「流ゆり」と「佐藤瑜璃」、タウン誌「月刊おたる」に「佐藤瑜璃」のペンネームで小説やエッセイを投稿し、たびたび掲載された。父・流人と同じくお酒を愛する人生で、昼でもアルコールの臭いを体から発散させていたのが息子さんには気恥ずかしかったが、好きなものを無理に止めさせることもないと思い強くは口に出さなかったそうだが、ついに最期まで大好きな酒を呑んで逝去したのだそうだ(さきほど息子さんに電話したところ、すでに一周忌の法要を終えたということだった)。
「これは血ですね。祖父の流人も無類の酒好きでしたが、母も文章を書き、お酒を呑んだという点では、同じように生きて死んだのです」
と、息子さんはぽつりと言った。
それを聞いた私は、沼田流人への関心にも増して、娘の瑜璃子さんの書いたものに興味がひかれはじめた。プロレタリア文学運動の初期の作家といわれる小説家を父にもつ人というのはいったいどのような文章を書くのだろう。父と娘の関係はどのようなものだったのか。これも何かの縁だと思った私は、通常は買い取らない文芸誌や同人誌、タウン誌の最近のものなども、瑜璃子さんの書いた文章が掲載されていそうな雑誌はなるべく引き受けることにした。しかし、買取った古本とともに店に持ち帰ってひとかたまりに積み下ろしたのだが、他の仕事で忙しかったこともあり、しばらく放ったままになってしまった。『倶知安町百年史』や武井静夫『後志の文学』『折々の記』、大森光章『このはずくの旅路 ある開拓僧の生涯』などが視界のすみに入ってくるたび、「あそこに沼田流人の気配があるな」と思いつつ、二カ月がたった。
それが今日になって、なんと自分の部屋の本棚から、札幌郷土を掘る会発行の前掲書『小説『血の呻き』とタコ部屋』が出てきたので驚いた。とっくの昔に古本として売ってしまってすでに手元に残っていないと思いこんでいたのである。それがこのタイミングで出てきたというのは(実際のところは、いままでは単純に無意識に見過ごしていただけで、急に意識の俎上にあがって目についただけの話なのだが)、なにかこう、呼ばれたような気になって、私はその本を棚からつかみだした。
あらためて『小説『血の呻き』とタコ部屋』をひもといてみると、そのなかに「沼田瑜璃子」の名前でエッセイが一篇綴られていた。「大好きな父のこと」と題する、短くもこころあたたまる文章である。他にも瑜璃子さん旧蔵の文芸誌・同人誌・タウン誌をみていくと、たびたび父・流人の思い出を文章にえがいていたことがわかった。どうやら瑜璃子さんは父親のことが本当にこころから好きだったようだ。じつの息子に死に方まで一緒だと言われてしまうほどに。
倶知安に生まれた瑜璃子さんは、結婚を機に小樽に引っ越して15年の歳月を過ごし、その後札幌に移り住んだ。あるエッセイに小樽の若竹町は「第二の古里」と書いているが、その意識があるからかローカルタウン誌「月刊おたる」にのびのびとリラックスしたエッセイを多く寄せている。平成3年には月刊おたる随筆賞優秀作に「幼なじみ」が選ばれた。
瑜璃子さんの筆に描かれる父・沼田流人は、洒脱な人だった。月がすきな流人は夜に電気もつけず縁側でひとり月見ウイスキーを愉しんだ。歌も「荒城の月」が好きだった。小樽にくると文学仲間がいて溌剌とした。後年も小樽を懐かしく語ったという。戦時中にはあまり聞かれなくなった外国の童話や民話を町の子供たちに話して聞かせたので人気があった。瑜璃子さんが小樽で喫茶店を開きたいという夢とも憧れとも希望とも知れぬ胸のうちを明かしたときの流人の反応がケッサクだ。「わっはっはあ、このブスのじゃじゃ馬がぁ、金も無いくせに、見ろこう言っただけでふくれっ面だ。喫茶店などはお客さんに何を言われても愛想よく笑っていなきゃならんのだ、お前にできるもんか、ひっひっひ」と一笑に附したという。なんともほほえましいエピソードではないか。
「月刊おたる」平成6年12月1日号では「港の赤電話」が月刊おたるずいひつ賞佳作に入選している。流人といっしょに行った小樽の古本屋が主題のエッセイだ。私はこのエッセイをもっとも興味深く読んだ。
―――「どこへ行くのっ」突っ立ったまま私は少し興奮して聞いた。父は鏡の中から私に言った、「本屋だ、おまえも行くか?」……父が「本屋」といえば小樽の古本屋だ。
流人が「本屋」というときは、小樽の古本屋のことだった。瑜璃子さんは父流人と連れだって汽車にのり小樽の「本屋」へ行くのが大きな楽しみだったという。最初に小樽の古本屋へ行ったときは太平洋戦争中で、小学生だった瑜璃子さんのランドセルにお米を入れて担がせ、駅員やお巡りさんの目をのがれて古本屋へ行くと、流人は何かいかめしい金文字で横文字の皮表紙の本とそのお米を交換したのを鮮烈な記憶として覚えているという。
―――ぶ厚いグレーのセーターを着たやせたおじさんが奥の方からその本を新聞紙に包んで重そうに持って来て、チラと中味を見せ父に手渡した。それをまた父は私(瑜璃子さん)のランドセルに入れると、おじさんは上がりがまちに座布団を敷いてお茶を出し、父と談笑を始める。私は店頭の古い「キンダーブック」とかワラ半紙のような「少女クラブ」などを手あたり次第に読みあさる。……五〜六回行っただろうか、ある日突然、店のガラス戸は白いカーテンがひかれたままになっていて、小さな貼り紙があった。「お詫び 都合により閉店いたしました。 長い間の御愛顧ありがとうございました。」通りがかりの人が父に、「本屋さんたおれたんだよ、だめらしい」と暗い声で言った。
これを読むと、沼田流人が通った小樽の古本屋とはいったいどこだったのだろうかと俄然興味がわいてくる。調べるすべもないが、そこにはどんな本が並び、どんなお客さんが行き来していただろうかと、つい思いをはせてしまう。酒が入ると流人はだれかれとなくこう語ったという。
「古い重厚な本達が静かに並んで、もの思いにふけっていたり、遠い昔を語りかけてくれたり、古典あり、純文学あり、外来書あり、大衆小説ありだ。まるで小樽の街を象徴しているようだ。小樽の街全体が古本屋って感じだな、見知らぬ人々のドラマが秘められたような雄大なロマンの街だ」
平成16年2月号の「月刊おたる」にも、父流人との古本屋の思い出が綴られている。最初に買ってもらった本は、小樽の古本屋から買ってきた『グリム童話』だったらしい。樋口一葉の『たけくらべ』も父からのプレゼントだ。それから瑜璃子さんがおとなになって結婚するとき、流人は嫁入り道具のなかに数冊の本を持たせた。その本にはさまれたメモには「読書は心を養い、生きる力になり、痛みを癒してくれる」と書かれてあったという。
こうして瑜璃子さんの書いたものを読んでいくと、タコ部屋労働を告発したプロレタリア作家沼田流人とは別の作家の顔が立ちあがってくる。それは「娘に愛された作家」沼田流人の横顔だ。いまごろは天国でふたり仲良く酒を酌み交わしながら、思い出話に花を咲かせているに違いないと思う。
そうして、残された活字や本は、読者の手から手へ新たな読者を求め、古本市場の広大な海へと出航し、未来へと旅してゆくのである。
文化人類学や記号論とりわけ道化、笑い、トリックスター(神話的ないたずら者)の研究で文化の動的な側面をとらえる方法を確立し、その後日本近代について圧巻の歴史人類学を創始し、一昨年に颯爽とこの世を去った知の巨人山口昌男。その著者が30年余り抱え続けた未完の遺稿がついに一冊にまとまった。
本書は喜劇王エノケンこと榎本健一のデビュー期の座付作家で、戦前の浅草で本格的な音楽喜劇を目指した菊谷栄をめぐる評伝である。おもにエノケンが劇団カジノフォーリーを旗揚げした昭和4年前後から菊谷栄が戦死する昭和12年までの、レヴュー黎明期が活写されている。
当時の浅草は東京の周縁にあってエログロナンセンスとモダニズムの強烈なエネルギーを発散していた。エノケン一座が羨望しライバル視もした関西の宝塚少女歌劇団は欧州の新知識と資金力を背景にレヴューの最先端をいくが、そのむこうをはって菊谷たちは流行のジャズをギャグに取り入れた大衆芝居で浅草に笑いの旋風をまきおこす。エノケンのアクロバティックな道化性が前面にでる喜劇は大評判の人気を博すが、一方菊谷のリリカルな筋書きは次第にマンネリ化してゆく。加えて一座は美人女優やよき振付師に恵まれなかったためにわかに低迷した。そこへきて時代は戦争へと動き出し、菊谷はひとり召集されて前線に赴く。還らぬ人となったのを知ってエノケンは号泣した。ジャズによる劇団葬をしたという。
著者の筆はエノケン躍進の立役者菊谷栄の個人の伝記に留まらない。菊谷の実家の土蔵から発掘した台本、関係当事者から直接聞きだした談話、さらに当時の雑誌やファン会報などの古書を渉猟し、引用と証言を編みあげて時代の風景をポリフォニックに描き出すことに成功している。
著者は後半生のテーマである挫折と敗者の視点から時代をとらえ直す歴史学の端緒を本書で開き、遂に未完のまま終らせた。続きは読者に託されたかのようである。
本書は『挫折の昭和史』とつないで読みたい一冊だ。山口昌男歴史人類学は著作全体をつらぬいて大きな山脈を形成している。その「つながり」こそが主題の一つなのである。
なお、縁があって本書の原稿を山口夫人に渡すことができた。編集者・間宮幹彦氏が編集後記で言及している「札幌の古本屋さん」(p328)とは弊店のことである。札幌大学で山口先生と親しかった某氏から託されたものである。私はまるでタイムカプセルを受け取るように原稿の束の入った段ボール箱を預かり、それを夫人に郵送したのだった。
三部で構成されている。
セルフポートレート、家族の室内での肖像写真、南大東島の風景写真である。
この写真展が開催されるにあたり、批評家の平倉圭が、
「大友真志さんの写真は本当に凄い。どう凄いのかが私には説明できなくて、大切さの領域が微妙で、言語を絶している感じがする。絶し方が、節度と結びついて、真に対して感じる事柄に近い。」と書き込んでいるのを見た。https://twitter.com/hirakurakei/status/555339840196050944
この言葉を頭の隅に置きながら、大友写真の凄さを、私もまた私なりに感じていた。
そのことを少し書きたい。
以下は、私の個人的なレポートである。
何かを説明しようとするとき、「それはAに似ている」「Bに似ている」「Cのようでもある」という言葉を積み重ねて対象を浮かび上がらせる方法と、「それはAではない」「Bでもない」「Cのようでもない」という言葉で削っていって対象を彫り出す方法がある。
大友の写真は後者の説明の仕方でしか近づいていけないもののように思われる。
1)セルフポートレート
つぎに続く家族の肖像写真と同じように、椅子に腰掛け、室内に差し込む自然な光のなかでこちらを向いている。手にレリーズを握っていることから、それがセルフポートレートであることがわかる。
昨今ツイッターなどのSNSに氾濫しているような「自撮り」のナルシシズムは感じられない。
また、パフォーマンス表現をする人たちが撮る「表現体としての自己」の主張もない。
絵画表現のテーマ「自画像」に見られる、自己批判、「己を見つめる」という厳しい省察、自己主張の表情も読み取れない。
そこには、なるべく意味を剥奪したような中性的な人間=自己がこちらを向いている。
写真を「撮る私」と、カメラに「撮られる私」が同時に存在しているのである。
よって、自己は、鏡であり、カメラである。
撮影者と被写体はそれぞれ二人称、三人称ではない。一人称である。
カメラだけがまるで神の目のように超越したところにあり、撮影者と被写体の対立を昇華して一枚の似姿(セルフポートレート)をプリントした。
(私は、写真がカメラによって撮られるという事実を知っているので、カメラという撮影機械を思い浮かべてこのように書くことができるが、美術館に展示されているのは、あくまでも「自己が写された写真」もしくは「自己を写した写真」のみである。)
大友はここで、他の人が写されるのと同じように、自分も写されている。
この一枚に、今回の展示における、大友真志の立場が表明されている、と私は思った。大友は全てを写真として引き受けようとしている。
2)家族の肖像写真
セルフポートレートと同じように、椅子に腰掛け、室内に差し込む自然な光のなかでこちらを向いている。手にレリーズはない。肖像写真である。
撮影しているのは、大友真志であり、カメラである。
写真家にとっての家族、もっとも親しい他者たち、ほとんど自分の半身である他者たちもまた、
ただそのままの姿、日常のテンションで、写真のなかからこちらを覗いている。
目が合うと、少しあせるのは、相手は写真なのに、見られる自分が意識されているのかもしれない。
よく、写真の比喩で、「ショット」という言葉がある。
直訳すれば「撃つ」で、写真を撮ることを意味する。
写真は、その比喩でいけば、とても攻撃的な表現になる。
「風景」を切り取って、対象をカシャっと撃つというイメージなのだが、
これほど、大友写真に似合わない言葉もないように思われた。
大友の写真は、まるでシャッターの幕を上げて、暗いカメラの室内に光を招き入れいているかのようだ。
表情や意味は読み取れない。
また、写真に対して「日常を切り取った一瞬」という言葉が使われることがある。
たしかに写真は一瞬の一瞥だろう。しかし、大友の写真は日常の一瞬でありながら、それよりももっと「持続している時間」が感じられる。
写真家自身と、写真家をとりまく環境が、持続している。
それにあえて切断をもちこむのが写真なのだが、文章表記を借りるなら、「。」(句点)や「改行」という仕方でなく、「、」(読点)であるような写真なのである。
決定的な瞬間でなく、日常の持続に「、」を打つことで、それが持続していることそのものを教えてくれる。かつてあった「改行」ややがてくる未来の「。」を内包しながらも、持続するすべてを「、」を打つようにそのままに写真にしようという静かな意志が感じられる。
何か決定的なものを撮って、じぶんの表現に利用し、またそれを一瞬で消費してしまおうという欲望からはかけ離れたところにある写真なのである。
ところで、中世絵画の肖像画は、資産家、貴族、王族らの姿を描いたものが多い。
当時はおそらく、その肖像は人物の偉大さとともに、尊崇の念をもって見られたのだろう。
しかし現在のわれわれがその肖像画を見る時、そこに描かれている人物への興味によってみるのではない。
そこに描かれている人物は、とくに表情もなく、意味も発しず、ただ「肖像」としてある。
大友の「肖像」は、「人物の意味」を超えることのできる「日常」を、映し出そうとしているかのようだ。
そんな日常は、実際にはあり得ないのだが、「カメラで家族の写真を撮るという日常のひとこま」という感じがする。
家族の姿そのままを撮ることで、家族の現実をありのままに見ようとしている。
そこには色んな感情が行き来しているかも知れないのだが、写真からは抑制されている。
色を与えずに、なるべく自然に、家族は家のなかの椅子に腰掛けている。
その姿はとても優美だ。
3)風景
展示されている写真のサイズは、決して大きくない。その小ささに、まず驚いた。
展示会場で大きく引き伸ばされた写真を見せられることに慣れた私の目は、その写真の枠内に吸い寄せられるように近づいていった。考えてみれば「大きければすごい」というのは、なんというまやかしだろう。
「風景写真」である。
写されている南大東島は、沖縄の東方に位置する離島、絶海の孤島で、1900年以降に開拓の鍬が入って人が住み着き、ただちに植民地経営が行われた。
サトウキビのモノカルチャー(単一農業)が画一的に広がるこの島には現在、「グレイスラム」というラム酒会社がある。(大友写真を見れば、とても画一的な風景とは言えなくなるのだが。)
北海道に生まれた大友は、植民地的な風景に敏感な感性をもっている。
植民地とは、支配者と被支配者の関係が風景を改変した土地のことである。
大友はその島の風景を撮るのだが、その視線は、島のなにも説明しない。主張もしない。
風景を風景として緻密に撮っているかのようだ。
自然と人為の格闘のさまが見て取れるが、それが必ずしもテーマとして前景化されず、まるでこの島で風景を撮ろうとすれば、そういうものが向こうから写り込んでしまうものだとでも言いたげに、「風景写真」然としている。
カメラの存在や自分の目を、限りなく無色透明なものにしてゆき、
そこにある光と風景を、ありのままに招き入れて、存在させる。
写真批評の言葉でいえば「ストゥディウムなきプンクトゥムの風景」といったところ。
観るものは、意図や意味が瞬間的に読み取れず、ただその風景に立ち尽くす。
風景に一歩こちらから近づいていかなければならない。
そこにあるがままを見なければならない。
「風景」の意味をカッコにいれるかのように、風景をファインダーにおさめた「風景そのもの」の姿を観る。
何も見えないかも知れないその風景を、眼球の光の反応として、目に反射させる。
その先に広がる意味は、「無」と「無限大」のすべてだ。
こういってよければ、非常に純粋な「風景」を、大友は取り出しているのである。
純粋な風景の結晶を析出するように、大友の写真はある。
風景はそのままですでに歴史、人為、天体、宗教、経済、政治力学が書き込まれている。
たとえば「植民地的風景」だとしても、それを声高に叫ぼうという写真ではない。
「植民地の風景が変化しながらも持続している」ことがたとえ見て取れたとしても、それを全面にだして主張したりはしないのだ。
叫ぶよりも静けさをもって、厳しく、優しく、風景を析出する。
被写体はさまざまな意味と力学の錯綜体である。
ただ純然たる風景に、人は政治力学や経済、人為の力を見抜くことができるだろうか。
大友の写真は、「私は指差す。その風景を見よ」と言っている。
人間の認識も、意味と言葉の連なりからできている。
それを、大友の写真は越えようとしているように、私には思える。
「Aでもなく」「Bでもなく」「Cでもない」という仕方で、意味を削ぎ落としてゆくことで近づいてゆくのが、大友の写真であるようなのだ。
やがて、その「風景そのもの」としての「写真」が、「記録」や「日常批判」に辿り着くことがあるかも知れないのを知りつつ、大友はその直前に留まりつづけようとしている。
写真を意味や意志に従わせようとせず、まず「風景そのもの」として認識せざるを得ない。
この緊張感を、平倉圭は大友写真の「節度」と言おうとしたのではないだろうか(私の勘違いかも知れないが)。
たしかに、これほどの「節度」に留まろうと維持している写真家は、稀有なはずだ。
パッション、という言葉がある。
よく知られている意味は「激情、熱情、愛情」という強い感情の衝迫だが、この言葉にはもう一つ別の側面がある。
それが「受難、受苦、受動」という意味だ。
キリストの受難の苦しみがあり、そこからつよい感情がにじみだしてくる。
大友の写真には、この「パッション」を感じる。
ものすごく強い感情が写真の奥底に燃えて、画面全体に張り詰めているのだが、それはあくまで受動的な、静けさのなかのパッションなのである。
このような禁欲的な抑制は、他の誰にもできないだろう。
「節度」と「パッション」のポートレートと風景。
大友から写しだされる写真は、しかし限りなく優しく美しいのである。
至高の美だ。
書肆吉成では以前、アフンルパル通信11号の表紙と中頁で伊藤隆介の作品を掲載した。
複数の映画のフィルムが切り貼りされて一つのフィルムになった作品だった。すべての映画フィルムがそうであるように一コマ一コマが差異と反復によって連なり突然カットアップされ、サンプリングされ、リミックスされて構成されている。そんな大小いくつものフィルムが隣り合わせに並んでいて、なかには腐食したフィルムもあって、まるでイメージが外科手術を受けて氾濫しているように見える。圧倒的な、という形容詞がふさわしい。
このフィルムが映写されると映像のラッシュになる。一気に複数の時間と空間が同時に炸裂する。「圧倒的なイメージの奔流」だ。その映像を宮の森美術館で見ることができた。
2011年にはイメージフォーラム・フェスティバル2011のために西新宿のパークタワーホールへ行き、伊藤が出展していた「コーネリアスのための映写機」をみた。日用品を寄せ集めて作った映写機がある。二つのハンドルを人力で回転させると、一つは自転車のライトの原理で光がつき、もう一つのハンドルでフィルムなどが回転して壁に映画を映し出すことができる体験型インスタレーションだった。電源要らずの映写機。この展示は東日本大震災の翌月〜翌々月のことだったが、今回の宮の森美術館にも同じ作品が展示されていた。私にとっては3年8カ月ぶりの「映画上映」だった。
他、CAI02と500m美術館で、それぞれ作品をみている。
伊藤隆介展が宮の森美術館で開催されていた。2014年10月25日から2015年2月1日までのロングランだった。私は最終日に見に行った。
伊藤作品はフライヤーの言葉を借りると「精巧に作られた模型やジオラマなどをビデオカメラでリアルに撮影、そのライブ映像を拡大投影し、目の前の実物(模型・ジオラマ)との関係を考える」作品である。
ところで、この展覧会の会期中、社会ではいくつかの映像をめぐる事件があった。
1月7日、パリで襲撃事件が起きた。ムハンマドの諷刺画を掲載した新聞を発行したシャルリー・エブドでの惨劇で、12人が死亡した。その後印刷会社に人質をとってたてこもった襲撃犯は射殺された。同時にパリ東部にあるユダヤ系食料品店でも人質をとるたてこもりがあった。この事件をきっかけに、風刺かヘイトか、表現の自由・寛容か節度をなくした冒涜か、法か宗教か、空爆、難民、人種、宗教、格差、自主規制、報復の衝突などなど、たくさんの問題が噴出した。近代国家がかかえた矛盾が表面化したのである。このとき、大規模な追悼集会(デモ)が起こった。デモの民衆の先頭で列国の首相が手をつなぎ合って行進する写真が公表されたのだが、じつはこの写真は現場とは違う場所でセット撮影したやらせ映像だったことがネット上で暴かれた。サルコジがコラージュされたイメージも多く出回ったのも印象的だった。「Je suis Charlie」、「tout est pardonné」という言葉が掲げられた。この事件はドイツ、デンマークへと飛び火した。
シャルリー・エブドのショックが覚めやらぬ1月20日、過激派組織「イスラム国」が湯川遥菜と後藤健二の二名を人質にとって多額の保釈金を請求する動画が投稿された。ユーチューブが舞台だ。まるで戦争と脅しの宣伝広告だった。画像が合成ではないか、という疑問がつきまといながらも国家による交渉が続いたが、結局二人の人質は殺害され、そのライブ映像が配信されるにいたった。日本時間2月1日午前5時3分だった。
2月1日は伊藤隆介展の最終日だった。この日、私は宮の森美術館に展示を見に行った。伊藤隆介展開催中に起きたこの歴史的事件が頭を離れなかった。「映像の暴力」と「映像の信憑性」が問われていた。これにたいして、伊藤作品は一つの示唆を与えているように私には思われてならなかった。
宮の森美術館に入ると、大きな壁いっぱいに映像が投影されていた。そこでまず、私は「美術館」という、映画館でもパソコンモニターでもショーでもない場所で映像を見るということに、あらためて違和感を感じた。
テレビ中毒者である私たちは、メディアによって拘束されている。メディアに首根っこを掴まれた人質だ。そのため、しばしば現実の出来事や光景を「映画みたいだ」とか「映画のセットみたいだ」とか言う。これは現実と映像を履き違えている。私たちは、映画が現実を真似ているのではなく、現実が映画のように感じられるという転倒した感性をすでに持っているのだ。映画館で映像がスクリーンに映されていれば「映画」であり、テレビ画面やモニターで配信されるものなら「リアル」と受け取る。私たちは映像に強い心的ショックを受けて実際に病んでしまうことだってあるし、逆に現実の光景が嘘のようにリアリティを感じないこともある。
そのくらい、私たちの日常は映像環境に浸されているのかも知れない。
美術館の部屋で上映されている大きな映像に気をとられながら近づいてゆくと、映像の手前にジオラマや模型などの造形物が展示されているのに気がつく。モーターとベルトなどが回って、造形物が動いている。中をのぞくと、造形物のなかに小型のカメラがあって動いていて、そのカメラの映像が壁に映し出されていることに気がついた。
壁に上映されていた映像は、伊藤の作ったミニュチュアの模型やジオラマの内部の映像なのだ。
ところで、テレビや映画のなかの映像はセットされ編集された「作られた現実」(ヴァーチャル・リアリティ)である。だから、映像体験はメディアによって「作られた体験」なのだが、体験それ自体は現実の身に起こる。ヴァーチャルな映像が現実の経験に侵食し同化し呑みこんでいる。ヴァーチャルが現実になるのだ。よって、「現実的な仮想性」という転倒がじつはいま日常的に氾濫している。人の体験や世界観のなかで現実か虚構かの見分けがつかないのだ。
大きな画面で見ると、その映像しか目に入らないので、映像にのめり込んでいって次第に画面の外部が消えてゆき、映像のなかに完全に入りこんでしまうことがある。
美術館で上映されていた作品も、それくらいの大きさはあった。大きくて、迫力があるのだ。
しかし、その映像はすでに手前にミニチュアと小型カメラによる「撮影現場」があるので、そっちも気になってしまい、映像に没入することができない。
かつて映像の主人はテレビ局、映画会社、ゲームプログラマーだった。現代は、誰もがインターネットを通じて映像を世界に公開できる。映像は世界を刺激する武器になっている(「万引き映像」「食品への異物混入映像」をユーチューブで配信していた少年が逮捕された)。たとえ作られたお騒がせ映像であっても、世界を刺激する力を持つのだ。
そのとき、映像が作られた「撮影現場」の「種明かし」をされるのが、映像にとって一番つらい「急所」になる。メタレベルに異化することで、映像が客体化されて認識されてしまえば、メディアの効力は減少するだろう。どんなにすごい映像でも、メイキングが暴露されて脱神話化された瞬間にたちまちキッチュなものとなるだろう。
伊藤作品が映像のからくりを同時に展示しているのは、映像体験のなんたるかを白日のもとにさらそうという意図が感じられた。
ところで、映像の作られる文法や構造を考えることは、映像に覆われたこの世界自体の文法や構造を考えることにもなるのではないだろうか。
たとえば、今更こんな話を持ち出すのは恐縮だが、インターネットそのものを考えてみよう。インターネットはもともと軍事設備として構想され、発達した通信手段である。たとえ通信経路の一か所が敵に攻撃されても、情報がしぶとく生き残って通信ができるように開発された。そのため、二つの大きなアイディアに依拠している。「分散型」と「情報のパケット化」だ。つまり「情報の中心地が無い」「一元的な情報集積地と経路がない」「情報が小出しに送られる」ということを意味する。これは現在「イスラム国」と呼ばれる過激派組織の映像テロリズムのストラテジー(戦略)に類似してはいないか。もしそうだとすれば、インターネットの仕組みを考えることは、現代のテロの在り方を考えることになるだろう。そこから現代社会の在り方も見えてくるのではないかと、私は考えてしまう。(同様に、映像を批判すれば、この映像的世界も再考できる、という信念を伊藤隆介作品は私たちにもたらさないか。)
現代社会は、グーテンベルクの印刷革命とIT革命を超えた、というか、印刷とITがすでに「環境」と化した新しい段階にあるように思える。いま私たちはインターネットの世界像と現実の世界像が互いに侵食し同化し呑みこみあった世界を経験しているのだ。
ともあれ、テレビの衛星放送で世界同時中継を結んだアート作品をうんだナム・ジュン・パイクから32年が過ぎた現在の我々の前に伊藤隆介がいるのは確かである。
伊藤のつくるセットとカメラの機械は、物の世界で自動的で自律的な永久運動を続ける。人間の知らないところで、勝手に物や機械が自動的に動き続けているのだ。私にはそれは少し怖いことに感じた。
永遠に同じイメージを反復し、コピーする(伊藤作品のなかでコピー機は揺れながら光り続けている。現実のコピーを作り続けている。塩吹き臼の昔話のように永遠に動き続ける。たぶん今も)。そこに「事後性」という概念はない。
ジオラマ内のカメラの往復運動は、私たちの現実をシミュレーションし、私たちの映像体験を宙づりの状態にする。サスペンスだ。出口のないサスペンス。そんな恐怖感をおぼえた。
現実のオリジナルであるはずのカメラが撮影する世界は、模型やジオラマといった造形物だ。それ自体コピーのようなものだ。コピー(造形物)からコピー(映像)が永遠に生み出されている。それは物と物の寄せ集めによって作られる「物の世界」なのだが、光と動きの視覚的効果が与えられることによって物が亡霊化したかのように、ある世界観や、物語(映画の途中のシーンのような)が立ち上がってくる。そんなふうに感じるのも怖かった。「物」から意味が生れる現場。
その雰囲気から作品のモチーフらしき寓意を得ることは可能だ。しかしここではあえて言説からは離れよう。映像を言葉で煽り、心を追い詰めて民衆の感情をひとつにまとめようとする手合いと同じ轍は踏まないように。たとえ言葉を置くときも、熱い感情的な言葉でなく、静かな問いかけの言葉にしよう。
いまはまずモチーフよりも、伊藤作品のメカニズムのほうを語りたい。
テレビなど社会的な映像から隠されてしまっている、不可視の現実を想像力と造形力によって作り上げ、そのミニチュアをわざと解像度を落としたクールメディアに仕上げて上映することで「現実の亡霊」を映し出し、視る者の想像力をかきたたせ、「現実/映像」社会への主体的な参加を促す。映像に感情移入してしまうことはない。からくりがばれているし、メロドラマ的要素もほぼ無い(伊藤作品のなかで、その映像が作られたセットであること自体が撮影機器の造形によってネタばれしている。ブレヒト的異化作用だ)。この参加は、現代の映像と人間の関わりかたについての、ある認識を生みだそうとするのだ。
映像の暴力の戦争を生きる現代人にとって、映像を批判することは、暴力に対する強烈な抵抗になりえる。映像批判とセットで個別のモチーフを思考した方がいい。個別の社会問題は半分以上言葉の問題なのだが、それが視覚によって生み出され、規定されていることにまでは想像力が届かずに気づかないままでいることが多いのだから。
プロパガンダとの差異も考えておきたい。レニ・リーフェンシュタールの時代と何が違うのか。まず、現代の映像が、権力者だけの道具ではなくなったという点は大きい。現代は、映像を取り囲むようにマスメディアが言論空間を作り上げて、解釈のオブラートで包みこみ、視聴者に飲ませる。しかし新たな映像によって反撃を受けるので、言論空間の充分な形成が追いつかない。結局権力はなし崩し的に、無理やりの言論を組み立てて世論を扇動するしかない。もし仮にプロパガンダを作っても、底が割れている。その映像は「真」か「偽」か。たとえ「真」に近いとして、どのような演出が施されているのかが、世界の別の視点から見えてしまうことがあるのだから。
ところで、展覧会では、プロジェクターで壁に映像が投影されていた。この場合、二つの「イタズラ」が可能だ。一つはカメラの前、もう一つは投影された映像の前。カメラの前に指を差しいれると、巨大化した指先が映像のなかに侵入する。まるで自分が進撃の巨人になったような気分になる。もう一つは壁の前に立って映像を浴びることで、映像に自分の影が入りこむ。この二つは、もし可能ならば、実際に体験してもらいたい。かなり面白い。遊べる。楽しいばかりではない。その時の映像こそ、実存と映像が混ざり合った「リアリスティック・ヴァーチャリティ」のなかに自分が存在することを鮮烈な体験として知るのだろうから。
現実の社会の問題には、一つの正しい解答はない。私たちにできることはせいぜい、「何が問題なのか」を把握し、短絡的な解答を求めずに考え続けることくらいなのだ。それはたしかに「問題の先延ばし」だが、積極的に言えば、永遠に「核心」に辿りつかない問題の「宙吊り」に耐えることのエクササイズでもある。「核心」にたどり着くための手続きが増えれば増えるほど、じつは「核心」への到達はどんどん延期されてゆく。いまや、「核心」に辿りつかないこと、核心に近付いているようで実は周囲をぐるぐると回り続けるだけのカフカの「城」のような不条理的状況に留まっているほうが、短絡的な解答よりずっといいのだ、皮肉なことに。まずは現実を直視し、映像を直視し、この永遠の往復運動に耐えよう。サスペンス状態に置かれていてもヒステリックにならず、笑ってとらえてガス抜きも大事じゃないか。伊藤隆介の言葉を引こう。
「問題に対する回答を無限に延期して繁栄を手にした、戦後日本人の精神のミニュチュアであり、背負うこととなった核の宿痾を笑う装置である」。
笑う装置とは、つまり諷刺なのだ。諷刺映像は笑いのラディカリズムでもって現実の暴力の化けの皮を剝す。笑いのなかで人は世界の真の姿に出会う。
伊藤隆介の映像を体験したら、きっとみんなびっくりしますぜ。
]]>8人の共通点は「北海道発」。
とはいえ北海道出身もしくは北海道で制作をしたということだけであり、
それぞれ独立した、良い意味でバラバラな、際立った作品が展示されていた。
(図録の解説によると、「反サイト・スペシフィティ、ポストメディウム・スペシフィティ」が共通テーマだとしている。しかしそれは一つの方便にすぎないだろう。少なくともこれらの用語を頭に詰め込んで出品作品を見ては、用語以上の意味を何も得られなくなってしまう。8人の多様な作品のあり方をこれらは解説するのではなく、「反」と「ポスト(以後)」のその先に何があるのか、それぞれに目撃し鑑賞したほうが良いとうながしているのだ。学術用語を逆手に取った上手な反批評、反解説であるように思われる。図録のなかではこう言っている。つまり、「反サイト・スペシフィティ、ポストメディウム・スペシフィティを本展の出品作品に適用させて、その有用性を示すとともに、本展の出品作家を「もうひとつの鑑賞方法」へと導くものである」(p16)。ちなみにこの展覧会図録はかなりおしゃれだ。佐藤守功デザイン。超クール。1250円)
さて、8人というのは正確には9人で、
露口啓二、北川陽稔、伊藤隆介、ニナ・フィッシャーとマロアン・エル・サニのユニット、鈴木涼子、岡田敦、大友真志、佐竹真紀である(展示順。さらに本当は10人目もいるのだが、それは展示でご確認ください。素敵なモノクロ写真がありますよ)。
作品はどれも端倪すべからざるものだったが、
このブログでは露口啓二の展示を見た感想文を書いておこうと思う(あくまで個人的な感想です)。
会場にはいってすぐ、その展示方法に驚いた。
露口啓二の写真が額装されずに紙のまま壁に貼られてあるのだ。
額縁に入っていない。ただの大きい写真だ。
そこで気づかされるのは、「額縁」とは額の外部を排除することで美術作品の価値を担保し、意味を限定し、イメージを固定する装置だったのではないか、ということである。露口の写真はその「額」を取り払い、イメージの「縁」をそのまま空間に放り出しているように見える。
写真はイメージである前に、印画紙という支持体に色がのった「物」なのだ。
写真のサイズは大きい。風景写真だ。近寄って細部を見ていくと、だんだんその風景の中に入り込んでいくように錯覚する。写真家が風景のなかに入っていく身体を疑似体験できる。
写真の意図はなにか、場所はどこなのか。意味を求めてキャプションを見る。
メモを取らなかったので記憶だがたしか「自然史」とか「北海道・福島」とか書いてある。いずれにせよかなり広範囲で、福島と北海道のどちらなのかはっきり示されていない。どちらかの土地の写真なのだろう。
会場を進むとすぐに写真が中空に吊るされた空間にでる。
壁に作品があるのでなく、ぽっかりと空間に浮かんでいるのだ。その間を自由に歩くことができる。裏表二枚の写真がぴったりと貼り合わせれている。キャプションを貼るスペースはもちろんない。
私は思った。放り出された写真、放り出された風景、放り出された自然だ、と。
露口が震災後の福島へ行って写真を撮っている知識はあった。放射性物質がつくる立入り禁止区域の見えない境界を写真に撮っているらしい。
写された写真は、あえて言えば「何の変哲もない」自然風景だ。しかし、目に見えない放射性物質がある風景なのだ。手がつけられず、放り出されてある。
恐ろしいのはキャプションがあいまいなので、その風景が北海道のものなのか、福島の「帰還困難区域」のものなのか、見分けがつかない。北海道と福島が頭の中で二重写しになっていく。
ブラキストンラインだったか、北海道と福島とは植生がおなじらしく、自然景観が似るのだろう。
このへんで鎌田享による図録の解説を引用しよう。すばらしい指摘だ。「人為と自然、可視と不可視、写真と脱写真…。露口は、あえてその境界に立ち孤塁に踏み止まりながら、世界のあり方を、そして写真のあり方を、探ろうとしている。」
かつての露口の仕事を思い出すならば、「アイヌ語地名と日本語地名」(音と領域、住空間と地図)や「川とコンクリート」(道)という境界もあった。
写真を見る。人のいない空間は不安感をさそう。不気味で、どこかこわい。
人工物が生半可に写ってたりするから余計に不気味だ。
放り出された風景では、自然が人工物を覆いつくそうとしている。またはその逆に人工物の放射性物質が自然を覆っている。
「自然との共生」とか「自然に還る」なんて人は簡単に言うけれど、そんな生易しいもんじゃないな、と思った。
写真そのものは、ただそこにある風景を写し出している、それだけなのに。
いや、それだけだからか。写真に何が写りこんでいるのかよく見れば、プンクトゥムの発見があるだろう。こういってよければ露口の写真は思いもよらないプンクトゥムの発見だらけだ。視線の中心がなく、かつ写真に写っていないものまで写し出しているのだから。
露口の目とカメラは「批判装置」だ。二つの世界が交わる十字路を映し出す。
それはいま、人と自然のあいだに横たわる深淵を覗いている。
鑑賞者は露口の写真を見ることで、その十字路に立ち、その深淵を覗くのだ。
この世界に住む現在のわれわれが、いったいどんな十字路に立っているのか、どんな深淵の縁を進んでいるのかを、あらためて知ることになる。
考えてみれば、北海道は(も)十字路なのだ。
そんな貴重な気づきと体験をさせてもらった。見に行って良かった。
]]>
「クレオール」とは「混交」という意味で、植民地生れの混成文化の色濃い文学が「クレオール」文学と呼ばれている。
最初、カリブ海のフランス植民地である、マルティニック島の作家を指していたが、現在では広く多文化混交の文学に対してつかわれるようになっている。
必ずしもクレオール文学と呼ばれるもののすべてが混成言語(ピジン語やクレオール語)で書かれているわけではなく、フランス語のみで書かれるものが多数だ。
カリブの島々には、1492年のコロンブスの新大陸発見以降、白人、(三角貿易による)黒人、原住民、(クーリーなど)中国人などが行き来し、島ごとに独自の文化と歴史と言語を形成してきた。そのなかで生れたのが、クレオール文化である。
さて、私は札幌で古本屋を営んでいるのだが、
この土地にいると、クレオール文化に、なにかシンパシーを感じることがある。
北海道は歴史的にみると、擦文人、オホーツク人、アイヌ、ウィルタなどが先住民として暮らしていて、近世から近代にかけて日本中から和人が入ってきている。さらに、強制労働や出稼ぎで韓国人や中国人も多数いた。ともに助け合い、与え合い(donner-avec)、ときにぶつかり合いながら共に島を生きてきた。
こんな島にも、多くの文化の交差があったのだ。
そうしてみると、北海道にも独自のクレオール文化があると考えられるのではないだろうか。
もし、そうならば、その文化混交を新しい私たちのアイデンティティとして生きることができるだろう。
クレオール文化はそのことの豊かさを教えてくれるのではないだろうか。
私は、そう思う。
12月31日、1月1日、2日
1月3日からは通常営業
通常営業時間
平日 11時〜19時
日・祝 12時〜18時
2014年、皆様におかれましては、どのような一年でしたでしょうか。
書肆吉成は、江別の倉庫を通信販売部門として立ち上げることができました。
最後となったラルズ古本市を含め、前半期に古本市が重なったときに増員し、
古本市の勢いをそのまま駆って江別の通販部門立ち上げ、後半戦でどうにか一応の形をつくることができた格好です。
2015年は、東区の店舗と江別の倉庫で有機的なサイクルをつくり、一冊でも多く古本を生かしていきたいと思っております。
2014年の本の買取としては、思想哲学、言語学、仏教書、美術書、書道(硯・篆刻)、クラシックCD、文学書で面白い本の入荷がありました。郷土史は今一つ大口の仕入れがなく淋しい心持ですが、ピリリと効いたツボを押さえた仕入れができたのがよかったです。
プライベートでも色々あり、身近な皆様には大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。
2015年、皆様にとってよいお年でありますようお祈り申し上げます。
書肆吉成への変わらずのご愛顧の程、どうぞよろしくお願い申し上げます。
店主 拝
]]>【日時】 2014年2月25日(火)〜27(木)
25日(火) 14時〜19時
26日(水) 9時〜19時
27日(木) 9時〜17時
【場所】札幌地下歩行空間・西側(3番出口と5番出口の間)
【主催】 札幌古本セーヌ会(札幌古書組合有志による同人 事務局代表・書肆吉成)
【参加店】 アルス商事(北区)、伊藤書房(清田区・厚別区)、書肆吉成(東区)、セカンズ(南区)、文教堂書店(白石区)、三浦書店(白石区・ネット)−五十音順