2008.03.05 Wednesday
アフンルパル通信iv号 発行間近!!
アフンルパル通信iv号、3月10日発行予定です。
定価500円 発行:書肆吉成 制作協力:かりん舎
石田尚志 「東京論」、表紙作品
今福龍太 「銅の李舜臣、琥珀の金芝河」
宇波 彰 「『エクリ』から佐藤信夫へ」
管啓次郎 「AGENDARS 7-8-9」
藤井 弘 「土地のほうへ ―未来の島々をめぐる人々―」
南 映子 「マクシミリアンの黒い瞳 ―ケレタロ―」
今号はまたすごい内容充実の号になりました!
作っていて本当に心からわくわくしました。
いまは印刷所でがんばってくれていると思います。
ぜひぜひ完成をお楽しみにお待ち下さい!
さてアフンルパル通信の未来の展望ですが、
このままの姿で99号まで発行し続けます!!
年三回発行なので計算すると創刊から33年がかかります。
私は創刊時に29才だったので62才になっているはずです。
いい頃ですね。62才になってようやっと一つの仕事をやり遂げる。
その予定ですので、著者のみなさん、読者のみなさん、かりん舎さん、
その他有形無形にお力添えを下さっている皆々様、
ロストジェネレーションといわれる世代でとかく未来が見えない、将来に希望が持てないという世の中ですが、
どんなことがあっても99号までこの姿で出し続けますので、
あと32年間のお付き合いのほどを、
本気で何卒よろしくお願い致します!
そして100号は超特別スペシャル感謝号にします!
そのときにはかつて一度も夢見られたことのなかった本を作って見せます!
おお、気宇壮大!お楽しみに〜♪
見切り発車で告知いたしますが、
次号v号(7月発行)からは、リム・ハンチュンさんによる金芝河の長編紀行本の初日本語訳の連載がはじまる予定です!
またモンゴルから送っていただいている詩も掲載したいですが、はたして叶いますかどうか。
さらに「アフンパル通信」の別系統の「なにか」を作ります!
この「なにか」、いろいろ思案中です。
すごい面白いことになると思いますので、どうぞお楽しみにしていてください。
ぼく自身も「なにか」がなんなのかわかりません。すごいスリル!
●本日3月5日から、「札幌美術展2008 美術で綴る札幌の歩み」という
展覧会が札幌市民ギャラリーではじまります。
かなり雑多に集めているようですが、
札幌が美術によってこれまでどのように表象されてきたのか、
また現在どのような記述・表現が可能なのかという問題意識にささりこんで行くことができそうです。
同展覧会ではアフンルパル通信iii号に写真を掲載させていただきました、
露口啓二さんのシリーズ「ミズノチズ」が展示されるとのこと、
これは必見です。
この写真の地図からはまったく見知らぬサッポロが立ち上がります。
それは札幌がコンクリートで覆い隠したサッポロの水の気配が充満した緊密な光景です。
どこを撮っているのか、何を撮っているのか、どんな風景を透視しようとしているのか。
そもそも撮るとは何か、見るとは何か、風景とは何か、
ぜひみなさんの眼で、視てみて欲しいと思います。
(林浩平氏(著書に『裸形の言ノ葉―吉増剛造を読む
』)もご自身のサイトでご紹介しています。)
宮澤賢治の有名な「春と修羅」にこんな一節があります。
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
「ほんとうにおれが見えるのか」、
この春の一行の痛烈を、露口さんの写真が厳しく感光していると思います。
なお、露口さんはご自身のブログで私がこのページで書いたものに言及して下さっています。
なんだかとっても光栄ですし、露口さんのレスポンスを読むことで私の写真観も修整されていくようで、とても刺激的です。
なお同展覧会では藤谷康晴氏の作品も参加しているようですし、また藤谷氏と木村環さんとが昨年末にテンポラリースペースで行ったドローイングイベントの図録も藤谷さんをつかまえれば(!?)販売していただけると伺っています。こちらも注目しているところです。
●先日3月2日は岩見沢市北村の浄土寺の住職にお誘いをいただいたので、檀家や門徒さんの同朋会の集まりを兼ねた映画上映会と小檜山博さんのトークイベントに参加しようと、はじめて北村に行ってきました。北村の環境改善センターというところでした。

かなりお年寄りの方々もあつまって、みんなで「恋するトマト」という映画を鑑賞しました。現代の農家の後継者不足と離農と嫁探しのたいへんさが描かれていました。
集まったおばあちゃんたちはお隣さんたちとおしゃべりしながら笑ったりして映画を観ていました。和気藹々のなごやかな空気でした。
映画のなかで主人公がフィリピンにいって、そこで機械を使わず昔ながらの方法でトマトの栽培にチャレンジするシーンがありました。その場面でのおばあちゃんたちの食いつきといったら感動的で、自分たちの昔のことを思い出すのか、あーでもないこーでもないと本当に目を輝かせて前のめりになって観ていました。
札幌の映画館でこの映画を観ても、ぜったいこの空気、この反応は無いでしょう。
とってものんびりしてほっとするような映画鑑賞会で、たいへん良い時間を過ごしました。人のあたたかさに奄美を思い出しました。映画も土と水と太陽の仕事である農家がいきいきと描かれていました。自分も中学生の頃に清里の農家さんにタマネギのポットの仕事や芋やにんじんやタマネギの収穫と箱詰めの仕事を手伝いに行ったりしたことやデメンさんの皆さんのつっけんどんな優しさを思い出したりしていました。
←この本が原作。
そのあと夜は岩見沢の「博酔会」という小檜山博さんを囲む会のみなさんとご一緒させていただいて、楽しい一夜を過ごすことができました。小檜山さんはじめ岩見沢のみなさま、本当にありがとうございました。特にお誘いを下さいました浄土寺(真宗・大谷派)の住職の霜田千代麿さんには本当に感謝申し上げます。
これからもどんどん寺史の出版やイベントの数々をご予定とのことで、今後のご活躍を本当に楽しみにしております。ありがとうございました。
北村の航空写真を見ると小さな川(幾春別川、大願川、新川など)が幾筋か流れ、沼が点在する水の豊かな沃野のようでした。石狩川が長い年月をかけて移動しているのでしょうか。地区にはよく「達布」(タップ)という地名がついていました。川が湾曲した内陸の土地というアイヌ語のようです。ほかに狐森というところもあるようです。興味津々。
(ちなみに霜田さんはたいへんな蔵書家で、またかつてはポーランドのグロトフスキーの演劇研究所で長く演劇に携わっていた方で、寺山修司率いる天上桟敷がポーランド公演したときには案内役をしていた方です。私は昨年「ポーランドの寺山修司」というイベントをご一緒させていただきました。)
寺山修司と言えば、先日、宇波彰先生が電話で『月蝕書簡―寺山修司未発表歌集
』という未発表歌集の本が出版されたことを教えて下さいました。
定価500円 発行:書肆吉成 制作協力:かりん舎
石田尚志 「東京論」、表紙作品
今福龍太 「銅の李舜臣、琥珀の金芝河」
宇波 彰 「『エクリ』から佐藤信夫へ」
管啓次郎 「AGENDARS 7-8-9」
藤井 弘 「土地のほうへ ―未来の島々をめぐる人々―」
南 映子 「マクシミリアンの黒い瞳 ―ケレタロ―」
今号はまたすごい内容充実の号になりました!
作っていて本当に心からわくわくしました。
いまは印刷所でがんばってくれていると思います。
ぜひぜひ完成をお楽しみにお待ち下さい!
さてアフンルパル通信の未来の展望ですが、
このままの姿で99号まで発行し続けます!!
年三回発行なので計算すると創刊から33年がかかります。
私は創刊時に29才だったので62才になっているはずです。
いい頃ですね。62才になってようやっと一つの仕事をやり遂げる。
その予定ですので、著者のみなさん、読者のみなさん、かりん舎さん、
その他有形無形にお力添えを下さっている皆々様、
ロストジェネレーションといわれる世代でとかく未来が見えない、将来に希望が持てないという世の中ですが、
どんなことがあっても99号までこの姿で出し続けますので、
あと32年間のお付き合いのほどを、
本気で何卒よろしくお願い致します!
そして100号は超特別スペシャル感謝号にします!
そのときにはかつて一度も夢見られたことのなかった本を作って見せます!
おお、気宇壮大!お楽しみに〜♪
見切り発車で告知いたしますが、
次号v号(7月発行)からは、リム・ハンチュンさんによる金芝河の長編紀行本の初日本語訳の連載がはじまる予定です!
またモンゴルから送っていただいている詩も掲載したいですが、はたして叶いますかどうか。
さらに「アフンパル通信」の別系統の「なにか」を作ります!
この「なにか」、いろいろ思案中です。
すごい面白いことになると思いますので、どうぞお楽しみにしていてください。
ぼく自身も「なにか」がなんなのかわかりません。すごいスリル!
●本日3月5日から、「札幌美術展2008 美術で綴る札幌の歩み」という
展覧会が札幌市民ギャラリーではじまります。
かなり雑多に集めているようですが、
札幌が美術によってこれまでどのように表象されてきたのか、
また現在どのような記述・表現が可能なのかという問題意識にささりこんで行くことができそうです。
同展覧会ではアフンルパル通信iii号に写真を掲載させていただきました、
露口啓二さんのシリーズ「ミズノチズ」が展示されるとのこと、
これは必見です。
この写真の地図からはまったく見知らぬサッポロが立ち上がります。
それは札幌がコンクリートで覆い隠したサッポロの水の気配が充満した緊密な光景です。
どこを撮っているのか、何を撮っているのか、どんな風景を透視しようとしているのか。
そもそも撮るとは何か、見るとは何か、風景とは何か、
ぜひみなさんの眼で、視てみて欲しいと思います。
(林浩平氏(著書に『裸形の言ノ葉―吉増剛造を読む
宮澤賢治の有名な「春と修羅」にこんな一節があります。
けらをまとひおれを見るその農夫
ほんたうにおれが見えるのか
「ほんとうにおれが見えるのか」、
この春の一行の痛烈を、露口さんの写真が厳しく感光していると思います。
なお、露口さんはご自身のブログで私がこのページで書いたものに言及して下さっています。
なんだかとっても光栄ですし、露口さんのレスポンスを読むことで私の写真観も修整されていくようで、とても刺激的です。
なお同展覧会では藤谷康晴氏の作品も参加しているようですし、また藤谷氏と木村環さんとが昨年末にテンポラリースペースで行ったドローイングイベントの図録も藤谷さんをつかまえれば(!?)販売していただけると伺っています。こちらも注目しているところです。
●先日3月2日は岩見沢市北村の浄土寺の住職にお誘いをいただいたので、檀家や門徒さんの同朋会の集まりを兼ねた映画上映会と小檜山博さんのトークイベントに参加しようと、はじめて北村に行ってきました。北村の環境改善センターというところでした。

かなりお年寄りの方々もあつまって、みんなで「恋するトマト」という映画を鑑賞しました。現代の農家の後継者不足と離農と嫁探しのたいへんさが描かれていました。
集まったおばあちゃんたちはお隣さんたちとおしゃべりしながら笑ったりして映画を観ていました。和気藹々のなごやかな空気でした。
映画のなかで主人公がフィリピンにいって、そこで機械を使わず昔ながらの方法でトマトの栽培にチャレンジするシーンがありました。その場面でのおばあちゃんたちの食いつきといったら感動的で、自分たちの昔のことを思い出すのか、あーでもないこーでもないと本当に目を輝かせて前のめりになって観ていました。
札幌の映画館でこの映画を観ても、ぜったいこの空気、この反応は無いでしょう。
とってものんびりしてほっとするような映画鑑賞会で、たいへん良い時間を過ごしました。人のあたたかさに奄美を思い出しました。映画も土と水と太陽の仕事である農家がいきいきと描かれていました。自分も中学生の頃に清里の農家さんにタマネギのポットの仕事や芋やにんじんやタマネギの収穫と箱詰めの仕事を手伝いに行ったりしたことやデメンさんの皆さんのつっけんどんな優しさを思い出したりしていました。
←この本が原作。
そのあと夜は岩見沢の「博酔会」という小檜山博さんを囲む会のみなさんとご一緒させていただいて、楽しい一夜を過ごすことができました。小檜山さんはじめ岩見沢のみなさま、本当にありがとうございました。特にお誘いを下さいました浄土寺(真宗・大谷派)の住職の霜田千代麿さんには本当に感謝申し上げます。
これからもどんどん寺史の出版やイベントの数々をご予定とのことで、今後のご活躍を本当に楽しみにしております。ありがとうございました。
北村の航空写真を見ると小さな川(幾春別川、大願川、新川など)が幾筋か流れ、沼が点在する水の豊かな沃野のようでした。石狩川が長い年月をかけて移動しているのでしょうか。地区にはよく「達布」(タップ)という地名がついていました。川が湾曲した内陸の土地というアイヌ語のようです。ほかに狐森というところもあるようです。興味津々。
(ちなみに霜田さんはたいへんな蔵書家で、またかつてはポーランドのグロトフスキーの演劇研究所で長く演劇に携わっていた方で、寺山修司率いる天上桟敷がポーランド公演したときには案内役をしていた方です。私は昨年「ポーランドの寺山修司」というイベントをご一緒させていただきました。)
寺山修司と言えば、先日、宇波彰先生が電話で『月蝕書簡―寺山修司未発表歌集