時代の精神、いまを写し、いまを突き破る

今月は雑誌が花盛りだ。
すばる、世界、に今福龍太先生が、
水声通信に吉増剛造先生が、
ユリイカに宇波彰先生が、
それぞれとんでもない原稿となっており、すごすぎて意識が遠のくほどだ。
岩波書店のウェブサイトに今福×吉増『アーキペラゴ』の近刊案内がでている!!




ほかには現代詩手帖に永澤康太さんが
ル・クレジオの東京外国語大学でのシンポジウムのときのことを、
海になることの気づきの驚きとともに詩作品にしたものが掲載されていたこともここにメモしておこう。

<以下は雑文。>
「新潮」のweb進化論の著者と平野啓一郎の対談は鋭かった。すごく面白い。この時代は狂気によってできているのかーと驚愕。ビジネスはただのビジネスにとどまらない。すごいぜ。
「すばる」誌上で、中沢新一と太田光の対談があるが、太田は幇間ほどの役割も担えてないように感じて物足りなかった。
「国文学」では四方田犬彦さんが映画「ミュンヘン」の批評をしていた。これまた面白い。映画「ミュンヘン」を観たときの嫌悪感と憎悪感が蘇る。最後部分はかっこいいけど面白くはない。神話的な語りより、細かいことが知りたい。

ほか、茂木健一郎はすごいけど頭の体操。頭いい。でもそれだけ。
古川日出男は問答無用で気になる。いま一番爆発してる。町田康より爆発してる。
痛みから声を発したり、傷ついてボロボロの犬が吠えてたり、絶望の川のほとりに立つ人が見あたらない。ちょっと昔のCoccoや椎名林檎のような人はいなくなったか?きっと声があまりにか細いんだろう。もっと耳を澄ましたいけど、まわりがあんまり五月蝿くてかなわない。繊細なヴェ−ルの向こうに隠れていては、いまの世では見つけてもらえなくて、ちょっと図太くならないといけないのは、本当に生きにくい。キレイすぎても嘘だけど、嘘でもキレイなものが無いことのほうがよっぽどヤだ。
そんななかでちょっと救われた思いがしたのは、こんな本が新潮社から出ていたこと。
こんな地味な本がよくぞ!と言うのは失礼だろうか。こっそり声援を送りたい。
散るぞ悲しき

そうだ、世界を変えてみようか。
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