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「私の大好きなお父さん」〜プロレタリア作家沼田流人と娘〜

本の出張買取の声がかかったので、3月下旬のよく晴れた早春の午前中、札幌市西区にある一軒家をたずねた。

私を迎えてくれた男性は、母親が他界し父親が老齢で施設に入ることになって家に住む者がいなくなるので家のなかを片づけているのだと言った。階段をあがったところの本棚をさっそく見せてもらった。倶知安町史の他、有島武郎など北海道文学関係書、趣味の革工芸の本、文芸誌やタウン誌などがあった。けっして多い量ではないが、しぶめの文学好きであることが見て取れた。

「文学がお好きだったんですか」

と私が聞くと男性は、

「これらは母の本です。へたな文章を書いていたので、そういう本がおおいんです」と言った。

なるほど文芸誌のいくつかには表紙に手書きでタイトルらしき文字の書き込みがある。自作が掲載されているのだろう。

へたというのはご謙遜でしょう。どんなものを書いていたのでしょうね」と話をふってみると、男性から思わぬ言葉が返ってきた。

「沼田流人、という作家を知っていますか?」

マイナー作家だが、私はたまたまその作家を知っていた。かつて一冊買ったことがある。

「ええ、倶知安のプロレタリア作家ですよね。数年前に一冊復刊されています」

「さすが古本屋さん、よく知ってますね。じつは私の祖父がその沼田流人なんです。この蔵書は流人の娘である私の母がのこした本なのです」

「えっ」

これにはさすがに驚いた。どうりで倶知安町史と北海道関係の文学書があるわけだ。

 

沼田流人と言われて、すぐに作品名をあげられる人は少ないだろう。小林多喜二より五歳年上のプロレタリア作家である。倶知安に住んで作品を書いていたが、世に発表された作品は決して多くない。そのうえ出版されてもすぐときの権力によって発禁処分をうけたために、ほとんど知られざる作家なのである。古本市場で比較的入手しやすい北海道文学全集の一冊に多喜二、葉山嘉樹とともに作品が収録されているが、伏字だらけで読めたものではない。

私が沼田流人を知るきっかけとなったのは、札幌郷土を掘る会が2010年に沼田の『血の呻き』を復刊したことを北海道新聞の記事で目にし、発行元から直接購入したからだった。伏字のない「完全版」からの部分復刊で、さらに解説が多くほどこされてとても丁寧に編集されている。この本もいまや入手困難であるらしい。『小説『血の呻き』とタコ部屋―酷使・虐待・使い捨て場の地獄、それらを守る巡査と検閲―札幌民衆史シリーズ11』というタイトルで、当時は1200円+税で買えた。

いわば幻のプロレタリア作家であるこの沼田流人の娘の蔵書を私が買わせてもらうことになるとは。古本屋という仕事の不思議な縁を感じ、私は陶然とした気持ちになった。

 

沼田流人の人生や文学についての詳細は武井静夫が倶知安双書の一冊に評伝を書いている。しかしこれも入手困難だろう。郷土本という性格上、どこにどう流通しているのか、どこで買うことができるのかわからないからだ。著者の武井静夫は北海道文学の評論家であるが、沼田流人とは沼田が書道を教えていた学校で同僚だった時期があるらしい。武井によると沼田は苦労人だったようだ。

私が興味をひかれるのは、沼田流人がはじめて著書を刊行しようとした出版社が「叢文閣」だったことである。この出版社は有島武郎を心底慕っていた足助素一という人が興したのだが、この足助はそのむかし札幌で古本屋・貸本屋を営んでいたことがある。足助素一は札幌古書業界草創期をリードした伝説の一人なのだ。足助素一についてはいくつか本があるが、岡茂雄『古本屋風情』にも激しい気性の持ち主である足助のようすが描かれている。沼田流人は里見と有島武郎の知遇を得た縁で、有島と懇意の叢文閣から最初の著作が刊行されるてはずとなった。新聞広告をうって大々的に沼田の処女作を刊行しようとしていたのだが、出版直前の1923(大正12)年6月9日に有島武郎が心中で他界した(7月7日に発見)のをうけて、叢文閣の出版担当者(おそらく足助だろう)は失意に沈んで仕事が手につかなくなり、『血の呻き』の出版話もうやむやになりかけたが、1923(大正12)年6月5日付けで発行され、そしてすぐさま発禁になったようだ(※諸説あり)。

沼田の著作はその後べつの出版社からも刊行されるが、すぐまた発禁になる。伏字や書き直しをしてあらたに刊行してもまた発禁をくりかえした。30歳になった沼田は結婚を機に小説家の道をあきらめた。二男四女を養うために、また「周囲の人達に迷惑がかかってはいけない」と思っての断筆だったようだ。

沼田は50歳になって倶知安高等学校の書道の講師として、また図書室の貸し出し業務の助手として勤務した。お酒をこよなく愛す人生をおくり、学校を退職した三年後の1964(昭和39)年、最期のときにも好きなウイスキーの水割りをおいしそうに呑みほし、そのまま静かに息をひきとったという。67年の生涯だった。

 

さて、今回私が本の買取りに呼ばれたのは、二女の瑜璃子さんの息子の男性からの依頼だった。瑜璃子さんは文芸誌「抒情文芸」に「佐藤ゆり」、同人文芸誌「人間像」に「流ゆり」と「佐藤瑜璃」、タウン誌「月刊おたる」に「佐藤瑜璃」のペンネームで小説やエッセイを投稿し、たびたび掲載された。父・流人と同じくお酒を愛する人生で、昼でもアルコールの臭いを体から発散させていたのが息子さんには気恥ずかしかったが、好きなものを無理に止めさせることもないと思い強くは口に出さなかったそうだが、ついに最期まで大好きな酒を呑んで逝去したのだそうだ(さきほど息子さんに電話したところ、すでに一周忌の法要を終えたということだった)。

「これは血ですね。祖父の流人も無類の酒好きでしたが、母も文章を書き、お酒を呑んだという点では、同じように生きて死んだのです」

と、息子さんはぽつりと言った。

 

それを聞いた私は、沼田流人への関心にも増して、娘の瑜璃子さんの書いたものに興味がひかれはじめた。プロレタリア文学運動の初期の作家といわれる小説家を父にもつ人というのはいったいどのような文章を書くのだろう。父と娘の関係はどのようなものだったのか。これも何かの縁だと思った私は、通常は買い取らない文芸誌や同人誌、タウン誌の最近のものなども、瑜璃子さんの書いた文章が掲載されていそうな雑誌はなるべく引き受けることにした。しかし、買取った古本とともに店に持ち帰ってひとかたまりに積み下ろしたのだが、他の仕事で忙しかったこともあり、しばらく放ったままになってしまった。『倶知安町百年史』や武井静夫『後志の文学』『折々の記』、大森光章『このはずくの旅路 ある開拓僧の生涯』などが視界のすみに入ってくるたび、「あそこに沼田流人の気配があるな」と思いつつ、二カ月がたった。

それが今日になって、なんと自分の部屋の本棚から、札幌郷土を掘る会発行の前掲書『小説『血の呻き』とタコ部屋』が出てきたので驚いた。とっくの昔に古本として売ってしまってすでに手元に残っていないと思いこんでいたのである。それがこのタイミングで出てきたというのは(実際のところは、いままでは単純に無意識に見過ごしていただけで、急に意識の俎上にあがって目についただけの話なのだが)、なにかこう、呼ばれたような気になって、私はその本を棚からつかみだした。

 

あらためて『小説『血の呻き』とタコ部屋』をひもといてみると、そのなかに「沼田瑜璃子」の名前でエッセイが一篇綴られていた。「大好きな父のこと」と題する、短くもこころあたたまる文章である。他にも瑜璃子さん旧蔵の文芸誌・同人誌・タウン誌をみていくと、たびたび父・流人の思い出を文章にえがいていたことがわかった。どうやら瑜璃子さんは父親のことが本当にこころから好きだったようだ。じつの息子に死に方まで一緒だと言われてしまうほどに。

倶知安に生まれた瑜璃子さんは、結婚を機に小樽に引っ越して15年の歳月を過ごし、その後札幌に移り住んだ。あるエッセイに小樽の若竹町は「第二の古里」と書いているが、その意識があるからかローカルタウン誌「月刊おたる」にのびのびとリラックスしたエッセイを多く寄せている。平成3年には月刊おたる随筆賞優秀作に「幼なじみ」が選ばれた。

 

瑜璃子さんの筆に描かれる父・沼田流人は、洒脱な人だった。月がすきな流人は夜に電気もつけず縁側でひとり月見ウイスキーを愉しんだ。歌も「荒城の月」が好きだった。小樽にくると文学仲間がいて溌剌とした。後年も小樽を懐かしく語ったという。戦時中にはあまり聞かれなくなった外国の童話や民話を町の子供たちに話して聞かせたので人気があった。瑜璃子さんが小樽で喫茶店を開きたいという夢とも憧れとも希望とも知れぬ胸のうちを明かしたときの流人の反応がケッサクだ。「わっはっはあ、このブスのじゃじゃ馬がぁ、金も無いくせに、見ろこう言っただけでふくれっ面だ。喫茶店などはお客さんに何を言われても愛想よく笑っていなきゃならんのだ、お前にできるもんか、ひっひっひ」と一笑に附したという。なんともほほえましいエピソードではないか。

「月刊おたる」平成6年12月1日号では「港の赤電話」が月刊おたるずいひつ賞佳作に入選している。流人といっしょに行った小樽の古本屋が主題のエッセイだ。私はこのエッセイをもっとも興味深く読んだ。

―――「どこへ行くのっ」突っ立ったまま私は少し興奮して聞いた。父は鏡の中から私に言った、「本屋だ、おまえも行くか?」……父が「本屋」といえば小樽の古本屋だ。

流人が「本屋」というときは、小樽の古本屋のことだった。瑜璃子さんは父流人と連れだって汽車にのり小樽の「本屋」へ行くのが大きな楽しみだったという。最初に小樽の古本屋へ行ったときは太平洋戦争中で、小学生だった瑜璃子さんのランドセルにお米を入れて担がせ、駅員やお巡りさんの目をのがれて古本屋へ行くと、流人は何かいかめしい金文字で横文字の皮表紙の本とそのお米を交換したのを鮮烈な記憶として覚えているという。

―――ぶ厚いグレーのセーターを着たやせたおじさんが奥の方からその本を新聞紙に包んで重そうに持って来て、チラと中味を見せ父に手渡した。それをまた父は私(瑜璃子さん)のランドセルに入れると、おじさんは上がりがまちに座布団を敷いてお茶を出し、父と談笑を始める。私は店頭の古い「キンダーブック」とかワラ半紙のような「少女クラブ」などを手あたり次第に読みあさる。……五〜六回行っただろうか、ある日突然、店のガラス戸は白いカーテンがひかれたままになっていて、小さな貼り紙があった。「お詫び 都合により閉店いたしました。 長い間の御愛顧ありがとうございました。」通りがかりの人が父に、「本屋さんたおれたんだよ、だめらしい」と暗い声で言った。

これを読むと、沼田流人が通った小樽の古本屋とはいったいどこだったのだろうかと俄然興味がわいてくる。調べるすべもないが、そこにはどんな本が並び、どんなお客さんが行き来していただろうかと、つい思いをはせてしまう。酒が入ると流人はだれかれとなくこう語ったという。

「古い重厚な本達が静かに並んで、もの思いにふけっていたり、遠い昔を語りかけてくれたり、古典あり、純文学あり、外来書あり、大衆小説ありだ。まるで小樽の街を象徴しているようだ。小樽の街全体が古本屋って感じだな、見知らぬ人々のドラマが秘められたような雄大なロマンの街だ」

平成16年2月号の「月刊おたる」にも、父流人との古本屋の思い出が綴られている。最初に買ってもらった本は、小樽の古本屋から買ってきた『グリム童話』だったらしい。樋口一葉の『たけくらべ』も父からのプレゼントだ。それから瑜璃子さんがおとなになって結婚するとき、流人は嫁入り道具のなかに数冊の本を持たせた。その本にはさまれたメモには「読書は心を養い、生きる力になり、痛みを癒してくれる」と書かれてあったという。

 

こうして瑜璃子さんの書いたものを読んでいくと、タコ部屋労働を告発したプロレタリア作家沼田流人とは別の作家の顔が立ちあがってくる。それは「娘に愛された作家」沼田流人の横顔だ。いまごろは天国でふたり仲良く酒を酌み交わしながら、思い出話に花を咲かせているに違いないと思う。

そうして、残された活字や本は、読者の手から手へ新たな読者を求め、古本市場の広大な海へと出航し、未来へと旅してゆくのである。

| - | 23:48 | comments(4) | - |
コメント
ごぶさたしております。ただいま「日本古書通信」という雑誌の目次を見ていましたら、2008年9月号に「沼田流人という作家がいた」というページが組まれていたことを知りました。大崎哲人氏、曽根博義氏が寄稿している模様です。どこかで入手したいものと思っております。
| 吉成秀夫 | 2016/11/22 3:36 PM |
ご無沙汰いたしております。先日は大変お世話になりました。ますますご活躍と存じます。このブログがご縁で岩手の沼田家の方から丁重なるお電話とお手紙を頂きました。まさか沼田家の方と知り合いになれるとは思ってませんでした。これも吉成さんがブログで取り上げていただいた賜物。亡き母の導きと思っております。ありがとうございました。
| 佐藤 裕樹 | 2015/11/10 8:50 PM |
お世話になっております。こちらこそこのたびのご縁に心より感謝しております。佐藤さまのコメントを拝読して、私も心が震えました。ちょうど一周忌だったとのこと、このようなタイミングでお母様の文章を読んでブログを書いていたことに不思議な偶然をかんじます。私がブログを書いたというよりも、お母様に「書かせてもらった」という感覚です。多忙で困難な一年をお過ごしだったのですね。お疲れ様でした。佐藤さまにこころやすい落ち着いた日々が一日も早くおとずれますよう、お祈りもうしあげます。またなにかございましたらお声がけ下さいませ。このたびは誠にありがとうございました。
| 吉成秀夫 | 2015/06/10 9:34 PM |
この度はご縁がありましてお世話になります。先日はお忙しいところありがとうございました。生前母からはほとんど流人のことは聞いておりませんでしたが、詳しく調べていただきましてありがとうございます。6月6日が命日でございます。何か今回も不思議なご縁を感じました。一人息子ですので、母の死後の手続き、父の施設入所、空き家になった実家のことなどであわただしい、気の休まらない日々を送り、仕事も休みがちで左遷され気落ちいたしておりましたが、感動で涙がでました。ありがとうございました。母が励ましてくれた気がいたしました。
| 佐藤裕樹 | 2015/06/10 1:34 PM |
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