2010.02.10 Wednesday
すべて二重の風景をなみだにゆすれ 〜たとえばカメラをもって風景を撮る、ただそれだけで
−−おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
−−すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
宮澤賢治「春と修羅」
金子遊さんの映画論「批評の奪還 松田政男論」が映画芸術430号に掲載されています。
これは第一回映画芸術評論賞佳作に選ばれた評論です。
http://d.hatena.ne.jp/johnfante/20091229
一読、とっさに思い出すのは金子遊監督作品の風景と映画の内省のトラヴェローグ「アマミリール」でした。金子監督は映画の実作と批評を両輪にして、この2010年代にどこへむかうのでしょう。
「三人の批評家たち」「風景論」「台湾、沖縄、第三世界」「運動の映画」
と四つの小見出しがついて論が展開してゆきます。
そのうち「三人の批評家たち」は上のリンクページに書かれているような内容です。
批評が活発だった70年代の映画評論の状況にいったん立ち戻り、そこから再出発を切ろうとするこの論文が目指すのは、「社会批判としての映画と批評」と言えると思います。70年代に松田政男が苛烈な言葉で示そうとした、映画のもう一つの顔です。
映画史を振り返ると、ジガ・ヴェルトフやエイゼンシュタインの「モンタージュ」(ロシア)、シネマ・ノーヴォ(ブラジル)、「ジガ・ヴェルトフ集団」(フランス)、ネオ・レアリズモ(イタリア)などなど、世界中で映画運動が社会を変革する力を宿していました。映画にはもともと社会を映し批判する機能が備わっているのです。日本ではATGや独立プロやドキュメンタリー映画の興隆がありましたが、フィルムを見る機会もほとんど無く、内実がどんなものなのか、勉強不足の私にはわからないままです(だれか教えて!)。
「風景論」
さて、金子さんは「風景論」で、永山則夫の足跡をおった松田政男の映画『略称・連続射殺魔』をとりあげて論じています。
論旨を追ってみます。まずは孫引きから
「風景こそが、まずもって私たちに敵対してくる<権力>そのものとして意識された(…)国家権力ならば、風景をば大胆に切断して、たとえば東名高速道路をぶち抜いてしまう。私たちが、快適なドライブを楽しんだ時、まさにその瞬間に、風景は私たちを呪縛し、<権力>は私たちをからめとってしまうのだ」(「密室・風景・権力」『薔薇と無名者』松田政男)
風景は、一方では日本列島が改造されて均質化されてしまっていて、東京のコピーが延々と続く、いまでいうグローバル化された風景になっています。そういった風土においては<故郷>は<東京>のイミテーションにすぎず、日本のどこまでもいっても東京が唯一の故郷としての始原性を主張するといいます。
恐ろしいことですが、この部分は私自身を振り返っても妙に実感納得させられます。
「何処まで行っても、何処にでもある風景のみに突き当たらざるを得ず、したがって永山則夫は、ついにこの風景を切り裂くために弾丸を発射せざるをえなくなった」のだと松田政男は結論するのだそうです。
風景の均質化された側面の一方で、原将人を引きながら、固有の風景を見るときの「まなざし」のあり方にも注意を向けます。風景を見る人間が、かえって風景によって見つめ返されているように感じて風景のメッセージを受け取ろうとする、そんな「まなざし」です(たとえば、すごく痛ましい映像を見たときに、痛ましくさせているのは見ているあなたなんだよ、と映像にいわれてるような感じ、でしょうか……)。
風景にむけられる「まなざし」そのものを捉え返すことで、権力の所在をさぐろうとする金子さんは、「風景映画」がもつ批判力を強調するのです。カメラによって撮影された「風景映像」は、じっさい目に見える以上のものを可視化する「社会表象」になるのだといいます。
「台湾、沖縄、第三世界」
ここでは松田政男の出自から、いかに彼がデラシネで亡命者であるかが紹介されます。
台湾において沖縄女性と関西人のあいだでの過ちから産み落とされたので、父の名を知らない庶子となりました。植民地時代の台湾では、沖縄人ではなく日本人として育てらるため、沖縄に親しみも無いのですが、かといって台湾では沖縄人だと言っていじめられるので、いっそう日本人の少年としての仮面を身につけていったのだそうです。
台湾、沖縄、日本人のどこにも100%の帰属意識が持てず、かといって一切を全く突き放すこともできない血が流れるのです。そんなところから自称「失業革命家」としての「極左」の立場を表明していきます。
そんな彼がたとえば植民地状況での搾取をドキュメントした映画を観るとき、植民地を搾取し窮地に追いやっているのは「日本人」たる自分自身なのだということをも直視します。彼の出自からくる寄る辺無さは、被植民と植民のあいだ、被搾取と搾取のあいだで葛藤し、「第三世界」なる「真の主人公−−地上の呪われたる者たち!−−が未だそこを奪還することを得ぬ約束の地」という場所を創出します。私はここでいう「第三世界」とは「亡命者による約束の地」と言いかえられると思います。実体のある場所ではなく、たとえばチカーノにおける「アストラン」のような場所です(金子さん、どうですか? 的はずれ?)。
「運動の映画」
ここでは埴谷雄高による松田政男の「国際対応性」「直接関与性」「尖端性」のみっつの特徴を紹介しつつ、来るべき映画と批評と社会のたどる方向をさししめそうとしています。
そのなかで特に「直接関与性」を強調し、「松田政男が、映画が生じてくる現場に積極的に関わり、批評家として映画の伴走者として走り続けてきた」として、60年代の独立プロやATGが隆盛したのを受け、70年代には「観客を、まさに一つの運動として己の映画作品を見、討論し合うところの自覚的な観客として組織していく」ことを提起したことを紹介します。より積極的に映画が作られて、見られて、語られること(創造―批評―普及)のサイクルを活性化させ、そのなかで社会を変革しようとしたのです。映画とは、そのような運動を組織できるメディアなのです。この運動の創造と普及、作家と観客のあいだをつないで社会をかけめぐる言語こそがいま求められる「批評」なのだと、金子さんはいいます。
現在蔓延しているすぐに消費されて忘れられる商業主義的な映画産業と、批評の顔をしたコマーシャルとしてのコピーから一度亡命をして、修羅となって社会を批判する言語としての映画と映画評論を、いまこそ奪還しようではないかと、金子さんは言っているようです。映画にはそれができるし、私たちはそのための言語を絶えず鍛え上げることができるのです。たとえば一人ひとりがカメラをもって風景を切り取る、ただそれだけのことからでも、批評は始められることを、この論文は示していると思いました。
札幌の古本屋 本の買取専門店 古書の書肆吉成
(風景はなみだにゆすれ)
−−すべて二重の風景を
喪神の森の梢から
ひらめいてとびたつからす
宮澤賢治「春と修羅」
金子遊さんの映画論「批評の奪還 松田政男論」が映画芸術430号に掲載されています。
これは第一回映画芸術評論賞佳作に選ばれた評論です。
http://d.hatena.ne.jp/johnfante/20091229
一読、とっさに思い出すのは金子遊監督作品の風景と映画の内省のトラヴェローグ「アマミリール」でした。金子監督は映画の実作と批評を両輪にして、この2010年代にどこへむかうのでしょう。
「三人の批評家たち」「風景論」「台湾、沖縄、第三世界」「運動の映画」
と四つの小見出しがついて論が展開してゆきます。
そのうち「三人の批評家たち」は上のリンクページに書かれているような内容です。
批評が活発だった70年代の映画評論の状況にいったん立ち戻り、そこから再出発を切ろうとするこの論文が目指すのは、「社会批判としての映画と批評」と言えると思います。70年代に松田政男が苛烈な言葉で示そうとした、映画のもう一つの顔です。
映画史を振り返ると、ジガ・ヴェルトフやエイゼンシュタインの「モンタージュ」(ロシア)、シネマ・ノーヴォ(ブラジル)、「ジガ・ヴェルトフ集団」(フランス)、ネオ・レアリズモ(イタリア)などなど、世界中で映画運動が社会を変革する力を宿していました。映画にはもともと社会を映し批判する機能が備わっているのです。日本ではATGや独立プロやドキュメンタリー映画の興隆がありましたが、フィルムを見る機会もほとんど無く、内実がどんなものなのか、勉強不足の私にはわからないままです(だれか教えて!)。
「風景論」
さて、金子さんは「風景論」で、永山則夫の足跡をおった松田政男の映画『略称・連続射殺魔』をとりあげて論じています。
論旨を追ってみます。まずは孫引きから
「風景こそが、まずもって私たちに敵対してくる<権力>そのものとして意識された(…)国家権力ならば、風景をば大胆に切断して、たとえば東名高速道路をぶち抜いてしまう。私たちが、快適なドライブを楽しんだ時、まさにその瞬間に、風景は私たちを呪縛し、<権力>は私たちをからめとってしまうのだ」(「密室・風景・権力」『薔薇と無名者』松田政男)
風景は、一方では日本列島が改造されて均質化されてしまっていて、東京のコピーが延々と続く、いまでいうグローバル化された風景になっています。そういった風土においては<故郷>は<東京>のイミテーションにすぎず、日本のどこまでもいっても東京が唯一の故郷としての始原性を主張するといいます。
恐ろしいことですが、この部分は私自身を振り返っても妙に実感納得させられます。
「何処まで行っても、何処にでもある風景のみに突き当たらざるを得ず、したがって永山則夫は、ついにこの風景を切り裂くために弾丸を発射せざるをえなくなった」のだと松田政男は結論するのだそうです。
風景の均質化された側面の一方で、原将人を引きながら、固有の風景を見るときの「まなざし」のあり方にも注意を向けます。風景を見る人間が、かえって風景によって見つめ返されているように感じて風景のメッセージを受け取ろうとする、そんな「まなざし」です(たとえば、すごく痛ましい映像を見たときに、痛ましくさせているのは見ているあなたなんだよ、と映像にいわれてるような感じ、でしょうか……)。
風景にむけられる「まなざし」そのものを捉え返すことで、権力の所在をさぐろうとする金子さんは、「風景映画」がもつ批判力を強調するのです。カメラによって撮影された「風景映像」は、じっさい目に見える以上のものを可視化する「社会表象」になるのだといいます。
「台湾、沖縄、第三世界」
ここでは松田政男の出自から、いかに彼がデラシネで亡命者であるかが紹介されます。
台湾において沖縄女性と関西人のあいだでの過ちから産み落とされたので、父の名を知らない庶子となりました。植民地時代の台湾では、沖縄人ではなく日本人として育てらるため、沖縄に親しみも無いのですが、かといって台湾では沖縄人だと言っていじめられるので、いっそう日本人の少年としての仮面を身につけていったのだそうです。
台湾、沖縄、日本人のどこにも100%の帰属意識が持てず、かといって一切を全く突き放すこともできない血が流れるのです。そんなところから自称「失業革命家」としての「極左」の立場を表明していきます。
そんな彼がたとえば植民地状況での搾取をドキュメントした映画を観るとき、植民地を搾取し窮地に追いやっているのは「日本人」たる自分自身なのだということをも直視します。彼の出自からくる寄る辺無さは、被植民と植民のあいだ、被搾取と搾取のあいだで葛藤し、「第三世界」なる「真の主人公−−地上の呪われたる者たち!−−が未だそこを奪還することを得ぬ約束の地」という場所を創出します。私はここでいう「第三世界」とは「亡命者による約束の地」と言いかえられると思います。実体のある場所ではなく、たとえばチカーノにおける「アストラン」のような場所です(金子さん、どうですか? 的はずれ?)。
「運動の映画」
ここでは埴谷雄高による松田政男の「国際対応性」「直接関与性」「尖端性」のみっつの特徴を紹介しつつ、来るべき映画と批評と社会のたどる方向をさししめそうとしています。
そのなかで特に「直接関与性」を強調し、「松田政男が、映画が生じてくる現場に積極的に関わり、批評家として映画の伴走者として走り続けてきた」として、60年代の独立プロやATGが隆盛したのを受け、70年代には「観客を、まさに一つの運動として己の映画作品を見、討論し合うところの自覚的な観客として組織していく」ことを提起したことを紹介します。より積極的に映画が作られて、見られて、語られること(創造―批評―普及)のサイクルを活性化させ、そのなかで社会を変革しようとしたのです。映画とは、そのような運動を組織できるメディアなのです。この運動の創造と普及、作家と観客のあいだをつないで社会をかけめぐる言語こそがいま求められる「批評」なのだと、金子さんはいいます。
現在蔓延しているすぐに消費されて忘れられる商業主義的な映画産業と、批評の顔をしたコマーシャルとしてのコピーから一度亡命をして、修羅となって社会を批判する言語としての映画と映画評論を、いまこそ奪還しようではないかと、金子さんは言っているようです。映画にはそれができるし、私たちはそのための言語を絶えず鍛え上げることができるのです。たとえば一人ひとりがカメラをもって風景を切り取る、ただそれだけのことからでも、批評は始められることを、この論文は示していると思いました。
札幌の古本屋 本の買取専門店 古書の書肆吉成