古本屋拾遺メモ 〜アンゼルム・キーファー〜

日々、古本を触っていると、ふとした拍子に本を開き、
ふとした箇所を読み耽り、あわれいつの間にか時間が過ぎてゆく。。
なんてことがよくあります。(←おいおい)

どんな本をいつ開くかはいつも偶然で、
(だいたい仕事に疲れ始めるころに開く。序盤から開いちゃったらその日は仕事にならない。泣)
だから、ちょっと変だけど、本を開くといつもセレンディピティを発揮する。仕掛けられた幸福。疲れて開いた本の、偶然に目にとまる文章に心奪われるわけです。
こんな古本屋の仕事から零れ落ちるちょっとした文章との出会いをメモしておきたいなと思いました。
古本は売ってしまえばそれでお別れ。毎日毎日、本とのお別れをして生きています。
そんななかから、ちょっとでも、本と出合えた痕跡を、このブログに。
きまぐれ更新です。どうぞよろしくです。

まずはこれ、「ユリイカ 1993年7月 特集 アンゼルム・キーファー」120ページより下の文章を。
ギャラリーマキで「Cuban Dreams 書物の形態学 vol.2」(5/30(金) 〜 6/13(金))という展示をするBEKAの皆様と、サウダージ・ブックスさんとborderlands+へ贈ります。6月にBEKAのみなさんにお会いできるのを楽しみにしております。

BOOKS――作品としての本
作家としてのキーファーのキャリアは、手製の本という作品形態とともに始まったともいえる。そして巨大なスケールの絵画や彫刻を制作している現在にいたってもなお、彼は作品としての本を作りつづけている。本はつねにある意味で、彼の多様な作品群の原点となってきた。多くの物議を醸した≪占領≫という初期の本は、ナチ式敬礼のポーズをとったセルフ・ポートレイトによって構成されている。近作の≪メランコリア≫では、自ら作った鉛の飛行機がさまざまなアングルから撮影されており、殺伐とした空虚な背景のなかに浮沈している。ページをめくるごとに、それは反復され、あるいは展開して、果てしのない飛翔への夢をぎこちなく曳航しつつ、本という形態のなかでしか生まれえないような特異な空間や時間の流れを創出している。

↓鉛の本
アンゼルム・キーファー <二つの大河に挟まれし土地>
(同上書 p.131)
1