穴の話

花田清輝「冠者伝」のなかの「第二章 清水の冠者」は、「人穴」について論じながら歴史を読み解いていく手さばきが見事。

富士の山麓に、かつて溶岩によってできた無数の穴があり、それは「人穴」(ひとあな)だとか「風穴」(かざあな)だとか、「胎内」(たいない)だとか呼ばれているらしい。穴は地底に縦横無尽に駆け回っていて、うっかり入ると地中の迷路にはまりこんで二度と日のひかりを拝めなくなるという。
「人穴」について吾妻鏡からの引用があるのでメモとして引いておこうと思う。
引用元は花田清輝著作集7巻の328ページ。

「新田四郎忠常、巳の刻、人穴を出でて帰参す。往還に一日一夜を経るなり。この洞、狭くして踵をめぐらす能わず。意のままに進み行かれず。また暗くして心神を痛ましむ。主従、各松明をとる。路次の始中終、水、ながれて足をひたし、蝙蝠、顔をさえぎりて飛ぶこと、幾千万なるかを知らず。その先途は大河なり。逆浪、流れを漲らし、渡らんと欲するに拠を失い、ただ迷惑するのほかなし。ここに火光に当りて、河の向うに奇特をみるあいだ、郎従四人、たちまち死亡す。しかるに忠常、かの霊の訓えにより、恩賜の御剣をくだんの河に投げ入れ、命を全うして帰参すと云々。古老のいう、これ浅間大菩薩の御在所、往昔より以降、あえてその所を見るを得ずと云々。今の次第もっとも恐るるべきかと云々。」

これを読む花田清輝は、新田四郎忠常一行の洞窟行をかなりおびえた足どりだったと推測して、「わたしには、一行が、かなり、神経質になっていたのは、かならずしもかれらの進退駈引きが不自由なためばかりではなく、最初から、かれらの胸に、あるいはこの「人穴」は、そのまま、まっすぐ地獄へ通じているのかもしれない、といった危惧の念が巣くっていたためのような気がしてならないのだ。」と書いている。またここで見た河は三途の川に見立てられているとも。

わたしはこの件を読みながら、アフンルパル通信i号に黒川君が書いた文章を思い出していた。特に「古老のいう」以降の箴言の言葉すくなな様子がまさに、黒川君の祖母のした教えのありかたにぴったりくるように感じられる。

それはともかく、人穴から帰りついた新田四郎忠常はその後三ヵ月して死を迎えるらしい。花田清輝のこの論文じたいは清水の冠者の歴史を解き明かす目的で書かれている。伝承や民話的想像力を借りた物語世界の裏側でどんな歴史が隠蔽されているのかを論じている。その花田の推理にすっすっと、穴をめぐる知識が挿入される。ここでは花田清輝の歴史の論旨をほとんど無視して、穴をめぐる部分だけメモしておきたい。

――日本全国にわたって、隠れ里に関する伝説を調査した柳田国男が、それの所在を、つねに「洞の奥乃至は地の底」に求めていた
――その当時のアウトサイダーたちが、それらの穴のどこか奥深くに、ひっそりと住みついていたことを暗示しているような気がしてならないのであるが、いかがなものか。
――『御伽草子』の一篇である『隠れ里』もまた、「大きなる穴」の中に、「費長房が言いけん壺中の天地、乾坤の外なる国」を発見していた。もっとも、これは、鼠の住む隠れ里だったが。(p358-359)

こうしてみると、穴にはアウトサイダーたちが住み着き、そこが隠れ里(アジト)になってゆく。それが穴の下の地獄への想像力と結びついて歴史を物語の下に潜行させていく、ということがわかってくるのかもしれない。さて、この話はこれでお終い。これ以上は入っていかないでおこう。


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まったく違う文脈で、済州島の創世神話にかかわる「三姓穴」という穴が気になっている。
最初に知ったのは、管啓次郎『オムニフォン』の「島と翻訳(あとがきにかえて)」で、管先生が済州島に行った時の記述のなかで読んだとき。こう書かれている。

「あのホテルの隣には「三姓穴」(さむそんひょる)というものがあるのよ、と鄭さんがいった。ただの地面に開いた穴なんだけど、そこから高(こう)さん+梁(やん)さん+夫(ぶー)さんという三人の神さまが出てきて、済州島の人たちのご先祖になったんだって、それで観光地になっててみんな見にいくんだけど見たらただの穴なんだから、いったい想像力って何なんだろうね。彼女の言い方に、ぼくは笑った。まったく、想像力って何なんだろう! 地形を見れば物語を作り、世界を見れば背後があると思い、自分の中の敵意や悪意を他人に投影し、植物ならまだしも動物を動物そのものとして見ることができず、本当に起こっている惑星的な出来事は見ずにすませ、ついですみやかに忘れる。」(p300)

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