札幌古書組合に加盟する方法

札幌古書組合(正式には札幌古書籍商組合)は、全国ネットの古書組合連合会の一つです。

月に一度の古書交換会(市場、セリ)では札幌の古本屋のみならず、小樽、旭川、岩見沢などから集まり出品や入札がおこなわれます。

ほか、年に二度ほど札幌古書組合主催の古本市を開催しています。

 

古書組合加盟のメリット

古書組合に加盟すると、以下の6つのメリットがあります。
1.全国の市場を利用して仕入れができる。

2.古書組合の販売サイト「日本の古本屋」に出品できる。
3.組合主催の古本市に参加できる。
4.同業者に仲間ができる。
5.古書月報、全古書連ニュースといった業界紙から全国動向を知ることができる。
6.被災があったときに支援金を送るなど相互扶助があり、若干の福利厚生を受けられる。

 

以上は、以前私が「日本の古本屋」発行のメールマガジンに書いた内容の一部を若干修正したものです。

詳しくはこちらに詳述しています→「私が実感する古書組合に加盟することのメリット6つ」

 

上記のメリットのうち、全国の市場を利用する、「日本の古本屋」で販売することの2点が主なメリットです。

ここに魅力を感じたなら、ぜひ組合加盟を検討してみてください。

 

札幌古書組合加盟の方法

札幌古書籍商組合に加盟するには、以下の手続きが必要です。

1.申し込み

2.面接

3.交換会の見学

4.承認

5.加入金と年会費を納入

 

1.申し込み

組合加盟店か理事長へ申し込み下さい。

組合加盟店は「日本の古本屋」→「古本屋を探す」→所在地に「札幌」と入れて検索してください。

※書肆吉成も加盟店です。お気軽にお問合せください。

 

2.面接

組合の理事長が面接します。

当組合の規約にもとづく権利と義務、組合員としての心得などを説明します。組合規定など全てに理解して頂く必要があります。

また、履歴書と面接にて事業所、事業内容または予定などを確認します。

 

3.交換会の見学

加入の意思が確認された後、当組合開催の交換会(セリ)が見学可能になります。

交換会は会場設営、商品の出品、開札、会計などすべての業務を加盟店みずからの手で行っています。

積極的なお手伝いの参加をお願いしています。

 

4.承認
当組合の理事2名の推薦をもって理事会に諮り、理事会の承認を受けて正式の加入となります。

 

5.加入金と年会費を納入

・加入に際する入会金は15万円です。入会金は返還されません。
・組合費は2022年末現在、年24,000円(月額2,000円)です。

※古書組合加盟店で3年以上勤務の実績がある場合、加入金の割引があります。

 

これで組合への加盟手続きが完了です。

手続き完了後、札幌組合より全国古書連合会へ加入連絡をします。

全国古書連合会による登録作業が済んだら、全国の交換会(市場、セリ)と「日本の古本屋」を利用できます。

 

古書販売サイト「日本の古本屋」の魅力

日本の古本屋」は、全国古書連合会が運営する古書販売のプラットフォームです。

「古書のプロ」である加盟店のみが販売できるサイトなので顧客からの信頼性が非常に高いです。

古書組合加盟の際はぜひ利用してみてください。

さっぽろ大市会の写真公開!

さっぽろ古書組合事業部広報の仕事として、先の大市の写真をアップしました。
通常セリ場には組合員以外立ち入り禁止なので、会場の雰囲気をこうして見られるだけでも、古書の世界も開かれてきたなぁと感じられるかも。
古書店最大の合戦場の、真剣な姿、リラックスした姿、一生懸命な姿などなど、どうぞお楽しみ下さい。関係者のみなさま、お疲れ様でした。
札幌の古本屋


左から:大西さん(なちぐろ堂)、吉成、協治さん(文教堂書店)

有島武郎と貸本屋(札幌古書組合 広報記事3)

 国鉄(札幌鉄道局)在職中から文学作品によく筆を揮っていたことでも知られる「えぞ文庫」の古川實氏。私(吉成)が伊藤書房で修行をしていた頃、伊藤勝美社長はよく古川氏のことを敬愛をこめてお話されていました。伊藤書房の目録「クラーク通信」ははじめ、えぞ文庫発行の「えぞもくろく」に範をとっていたそうです。レイアウトも瓜二つだったそうです。
 その古川氏が生前書き残したものを図書館学の藤島隆氏の編集でまとめた本が『古本えぞの細道』(北の文庫発行、平16)です。これによると古川氏が21才まで暮した家は有島武郎の旧居の極近所だったそうです。
 有島武郎と貸本屋との由来が『北のアンティクアリアン』に詳しく紹介されています。藤島隆氏によって、貸本屋「独立社」→「創建社」→「再現社」(「無産人」)→「白羊社」の系譜が綴られています。有島の親友から貸本屋が生まれ、社会運動の拠点ともなり、一冊の雑誌を発行しながら20数年間引き継がれた、とてもユニークな遍歴です。
 足助素一(あすけそいち、1878-1930)の「独立社」からはじまります。明治41年、15〜6冊ばかりの本を古い柳行李に入れて札幌で貸本屋「独立社」を開業しました(これは小樽ではじまった説もあるようです)。何度か移転し明治45年3月、南大通西4丁目(新川通・・・まだ川が流れていた頃ですね。)に落ち着きました。足助は札幌農学校時代の先輩有島武郎の社会主義研究会に出席していました。「独立社」の看板は有島が油絵具で大書したものが掲げられていたようです。その足助は大正3年正月、かつて教員を勤めていた新渡戸稲造創設の遠友夜学校に独立社の一切を譲り上京。東京で出版社「叢文閣」を興し、有島武郎全集(全12巻・大正13)や、高群逸枝や大杉榮など左翼系の本を出版しました。
 さて、遠友夜学校に引き継がれたはずの「独立社」ですが、どういう経緯からか、(遠友夜学校の鈴木や興膳辰五郎を経て)田所篤三郎が「創建社」(大通西5丁目1(新川端))として引き継ぎます。田所篤三郎は有島の小説「酒狂」のモデルの人物です。また創建社に出入りの十文字仁は小説「骨」の主人公として登場します。創建社では毎夜、詰襟服の学生や労働者などが集まっては酒を飲んで議論をかわし、革命歌を高唱していました。社会主義を標榜する不良青年たちのたむろする場所になっていたのです。東京方面の社会主義者とも気脈を通じている疑いもあり、大正11年9月22日、札幌署高等係は貸本屋に踏み込み、文書を押収、出版法違反で田所篤三郎以下数人を引致しました。田所は大正5年から国鉄苗穂機関区に勤務していた人物だそうです。留置場にいる間に田所は札幌で営業を停止されてしまいました。貸本屋は閉鎖となったのです。
 これを継いだのは棚田義明という人でした。呉服屋に生まれた彼は病弱で、療養中に客として創建社に足を運んでいました。大正11年末には田所から創建社を買い取り、名前を「再現社」と改めて貸本屋を始めました。店の棚には本がぎっしりと詰まっていて、白樺派の人々の本が多く、図書の扉には有島への献辞のあるものもあったそうです(・・・とすると、足助の独立社の頃から有島の蔵書はここに?)。棚田は本の好きな人物でしたが商売の才はなく借金をつくり、大正14年、奥出三郎に店を譲ることとなりました。棚田は一冊の雑誌を創刊しました。「無産人」です。創刊の言葉はあちこちが伏字だそうです。発行日は大正14年5月11日。この「無産人」は創刊号で廃刊となってしまいました。再現社を譲られた奥出は「白羊社」として昭和2年末まで営業を続けました。独立社から始まって足掛け20年あまりの遍歴です。
ところで「無産人」創刊メンバーに日本画家・民俗学者・社会運動家の橋浦泰雄の名があります。橋浦は兄が札幌に住んでいて、有島とも親交がありました。木田金次郎美術館で11月まで「橋浦泰雄−旅への導き」展が催されているようなので、ちかく岩内まで行ってみようと思っています。なにかまたサイドストーリーがあるかも知れません。

この貸本屋の遍歴を見て、貸本と古本と文学と出版と政治思想とが繋がっていた時代があったのだなぁと、たいへん勉強になりました。有島の残した足跡は大きいようです。
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札幌古書組合 広報記事2

 前回は尚古堂書店さんの業績を、『北のアンティクアリアン―札幌古書店の足跡―』での高木庄治氏の記述と発言を元に学びました。すると高木庄治氏ご本人からすぐにご丁寧なお手紙をいただきました。弘南堂書店さん専用箋です。資料として「ふぐるまブレティン」をご同封下さっています。ご厚意に心より感謝を申し上げます。誠にありがとうございました。
 まず最初に前回の訂正を。高木氏のその後の調べで尚古堂書店の創立は明治三五年ではなく明治二五年であることが解ったそうです。
 「ふぐるまブレティン」第五六号(昭59年)は「北海道特集」として、札幌から石川書店さん、稲野書店さん、市英堂さん、弘南堂さんが寄稿されていました。高木庄治氏はここで尚古堂書店「初代・代田亀次郎さんのこと」を寄せています。代田氏の来歴を知るとともに、北駕文庫の浅羽靖氏や関場不二彦氏、河野常吉氏といった歴々たる蔵書家との交流に触れていて、尚古堂書店の果たした仕事の幅と役割を垣間見る思いがいたしました。
 第七九号(平2年9月)で高木庄治氏は、大変興味深い記述を残して下さっています(「札幌組合における市会の歩みと現状」)。昭和五年に始まってから、これによると平成元年に旭川組合の提案で北海道連合が組織され、第一回目の大市会(札幌)、平成二年六月の旭川での大市会までの市会の歴史が記録されています。北海道連合は十九年の歴史ということがわかります。ちなみに現行の市会担当の事業部制は昭和六二年からのようです。広報は毎回出品促進を兼ねて出品目録を作成して案内を送っていたそうです。あな恐ろしや。いずれにせよ、現行の札幌古書組合の体制が組織化されたのは昭和末から平成にかけてのようです。交通機関の発達によって市会の様相も大きく変遷していったようです。いまはこれに加えてネット環境の発達が古書業界を揺り動かしているのでしょうか。さてここで市会のこれまでを綿々とおさらいしようと思います。
 スタートは昭和五年。尚古堂書店の代田茂氏を中心に札幌古書籍商組合が結成されるとすぐに組合直営の市会が行われる。
「日本古書通信」昭和九年によると、「古書市会は札幌小樽連合で札樽連合古書市会と云うものを毎月六日、十九日、の二回開催、毎回出席者二十名内外(後略)」なのだそうです。月二回に驚きです。
 当時の会場は、「札幌祭典倶楽部」を中心に同業店の持ち廻りや「観音堂」、小樽は「水天宮」が常設だったそうです。余談ですが、水天宮は極最近、所用で訪ねたばかりなのですが、あのような眺望のよいところで、にぎやかに振り市をしていたことを思うとなんだかワクワクいたします。水天宮は今も小樽の文学的トポスのようです。
 戦時から戦後期は同業者の激減により十年近く中断。昭和二九年から、十名足らずになった組合員の居間を持ち廻り会場に月一回の振り市を再開。
昭和四〇年、高木庄治氏の発案で「全北海道親睦大市会」開催。
昭和四二年から月例通常市会のほかに「夜の入札会」(通称、夜ゼリ)が始まり、三年ほど続く。
 昭和四十五年頃から五〇年代にかけて東京と地方の行き来が盛んになり、それとともに組織のかたちが形成され現在に至る。 -続く

札幌古書組合 広報記事1

今期の札幌古書籍商組合事業部で広報を担当することになって、今月で二ヶ月目です。

広報の仕事は、北海道内の古書組合加盟店(64店舗)に月に一度のセリ市の案内を発送する仕事です。案内の下部分三分の一に、前回のセリの落札値を抄録します。この落札表が本の相場を知る重要な資料です。いまどんなジャンルの本が高値で売買されているかを感じ取ることもできます。そのセリの案内の裏面に読み物を連載することになりました。
セリ場は古書組合加盟者しか参加することのできない、限られた業者の世界です。一般の人は入場することができません(ときおり見学の人もいますが)。
私はセリの当日は会場作りの手伝いと開札と落札結果の発声も担当しています。

さて、一月遅れで、セリの案内の裏面に連載している記事をブログに再録する企画第一弾です。
第一回目は、札幌古書組合を創設し、最初の組合長になりながら、積極的に文化的価値の高い書籍の出版を手がけるも、商売としてはうまく行かずに悔やまれながらも店をたたむこととなった多才な古書店・尚古堂書店さんについてです。

あんまりマニアックすぎるかも知れませんので、本当に古本屋と古本が好きだという方にご高覧いただければと思います。

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■こんにちは。今期の広報を担当することになりました、書肆吉成の吉成秀夫です。いたらぬところもあるかと思いますが、その際はどうかご寛恕下さいませ。今後ともご指導ご鞭撻をお願いいたします。
■さて、このたびは新事業部長の南陽堂書店さんにせっかくだから案内の裏に少し読み物を書いたらどうかと言われました。ですが私のような新参者に諸先輩方の興味に供するものが書けようはずもなく、ほとほと困りました。
■考えた末、せっかくの機会ですので、いままで本棚に眠っていた『北のアンティクアリアン―札幌古書店の足跡―』昭63(以下『北A』)と『古本えぞの細道』平16(以下『古E』)をひっぱりだし、この場を借りて商売の先人に学んでみたく思いました。
■右も左もわからぬ若造の、行き当たりばったりの勉強ですから、何でもない事に感心したり、読み違えや勘違いもあるかもしれません。わたくしなりにではありますが昭和5年に結成(『北A』p.100)されて以来、77年の歴史ある札幌古書籍商組合の来し方を学びたいと思いますので、お気づきの点や誤り、補足や知られざるエピソードなどございましたらご教示いただければ幸いと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。
■今年は全国規模のセリも札幌でありますので、札幌のことのみならず、全国的なお話も伺えるいい機会となるかもしれません。とても楽しみです。
●このたび様々なことを初めて知って驚きました。その中でもまずは初代組合長でした尚古堂書店さんというお店の事に興味がひかれました。商工会議所の名簿によると明治25年創立とのこと(『北A』p.21および「ふぐるまブレティン」56号参照)。二代目代田茂氏は昭和5年、札幌古書籍商組合を結成、初代組合長に自ら就任(以下『北A』p.100、高木庄治氏「二代・代田茂さんのこと」を参照)。組合結成後、当時札幌より人口も多く業界の盛んであった小樽勢と合流し、合同セリ市が交互に開かれたそうです。昭和6年1月には「蝦夷往来」を創刊(これに先んじて大正10年7月に文芸誌「路傍人」を創刊。「蝦夷往来」は第14号.昭10まで)。これにより信用と名声をかち得たらしいです。本業の古書の方は、目録を「蝦夷往来」に挿入して配布したとここでは推察されています。終戦の翌昭和21年、北海道の出版ブームが沸き起こると(先月発売していた季刊「札幌人」の特集も参照すべきでしょうが、先号未購入)、「北日本社」「北方書院」の2社名を駆使して矢継ぎ早に出版物を刊行しています。昭和24年秋「北海道文化奨励賞」受賞。皮肉にもこのころから商売が時流に乗らずに傾きはじめ、昭和26年3月、店じまいの半額セール。当時の新聞には「もとよりこのような良心的出版が採算のとれるはずはなく負債は重むばかりなので」とあります。半額セールで売れ残った本を棚にそのまま残しベニヤ板でカベを張り、食堂に早変わり。しかし食堂も結局はうまくいかないままとなりました。ここでドキッとしたのが、「本棚と残本を、そのままにして改装したことを思う時、何時かは再起しようと考えていたのではなかろうか」と、ご執筆の高木庄治氏が筆を添えていることでした。文脈は違いますが、べつのところではこうもご発言していました。「まあ、この商売をやっていれば、結局は本が嫌いでやっている人はまずないですからね。これだけは共通して言えることですね」(『北A』p.32)。    <続く>


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余録一滴。
昨日の日記に書いた、伊藤整のゆかりで訪ねた小樽市の水天宮。
ここはかつて、古書組合が札樽連合古書市会で、なんと常設のセリ場として使っていたのだそうです。
昭和十年ころの話です。水天宮に古書並び、活気あふれる振り市。瞼の裏に浮かべてみるのも楽しいことです。

ちなみに「振り市」とは別名「口ゼリ」ともいい、現在通常おこなわれている「置き入札」(本に封筒が付いていて、落札希望価格を紙に書いていれていく)ではなく、一つ一つ口で説明しながら希望価格を発声して値を吊り上げて行くオークション方式のことです。
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